中共に捧げる財務官僚たち

皇紀2676年(平成28年)3月7日

 http://www.sankei.com/world/news/160305/wor160305……
 ▲産經新聞:【中国全人代2016】李克強首相が「改革」を70回連呼 標的は「ゾンビ企業」だが600万人失業、社会不安の恐れも

 昨日記事で申した「日本銀行と財務省で目下「親中」の金融・財政工作が進められている」ことは、産經新聞社の経済を専門にする田村秀男特別記者の五日配信記事「G20の勝者・中国と敗者・日本 中国に手を貸した財務官僚に呆れた」に詳しく出ています。

 中共が初めて議長国を務めた二十カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議の共同声明に関する分析記事のうち、私が思う最もおかしかった点を見事に洗い出したものです。

 簡単に申しますと、人民元の暴落を止めたい中共共産党にとって、国際通貨基金(IMF)に約束させられた金融自由化の束縛から逃れる口実をわざわざ与える内容だったことでした。

 これで中共共産党が事実上の資本規制の横暴に出ても、G20での決め事を盾にIMFの指摘を逃れられます。各国も決して対中批判をしないでしょう。

 だからこそ、共産党大会に過ぎない全国人民代表大会(全人代)で習近平国家主席も李克強国務院総理も平然としていられる(※注)のです。私がかねがね「中共経済は確かに内需がほぼ死んでジリ貧だが、中央がとんでもないひねり技をやってくぐり抜けるかもしれない」と申してきた通りに展開しています。

 党人民解放軍の軍縮三十万人計画にしても、国防予算を減らしても李総理が「海洋強国化」宣言できるからくりは、海警局のいわば「準海軍化」を進めているからであり、ここがいわゆる「ブラックホール」になってるのです。

 そして、それに手を貸したのが日本の財務官僚たちでした。声明文の帳尻合わせは、各国の事務方がやります。わが国の官僚は、中共の都合のよいほうへ進むことをまんまと見逃し、むしろわが国の金融・財政政策が国際的非難を浴びかねないよう仕向けたのです。

 田村氏の言う「自損」とは、税収の自然増ではなくて徴税権力そのものを拡大させたいだけの財務省が自ら消費税率引き上げを諦めたかのような態度を取ったことであり、中共を助けてでもしたいことだったのかとわが目を疑いたくなります。

 ※注 五日の李総理の演説で、彼が著しい汗をかきながら三十回以上も原稿を読み間違えるという異常事態がありました。党大会の直前にでも習主席に何かのことで脅されたりしたのでしょうか。経済政策の失敗だけが精神的抑圧の原因ではないでしょう。

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『中共に捧げる財務官僚たち』に3件のコメント

  1. :

    本当にどうなっているのでしょうか?
    戦後すぐの頃の日本の官僚は、日本再建のために先手先手を打ってきたからこそ、日本の存在があるのだと思います。
    支那政府を助けることによって、結局日本を売り渡す決断をするとは、現代の官僚は心底おバカなのか確信犯なのか・・・日本の一般庶民が貧乏になって行く現在、
    ”本当にいい加減にしてくれ!!” と叫びたい気分です。

    全く信じられません。

  2. 心配性:

    財務省も外務省もどうかしていますよ。

    懸念した通りです。
    国連が勝手に、日韓合意の破棄を迫っています。
    カリフォルニアの教科書にも「20万人の女性を連行して性奴隷にし、その後隠ぺいの為に殺した」とする記述が載るでしょう。

    日韓合意は「対応不十分」=元慰安婦の立場考慮を―国連委
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160307-00000139-jij-int

    『鬼郷』的な慰安婦問題を利用したヘイトスピーチも増々横行するでしょう。
    国際社会は、親北朝鮮団体の企みや、歴史問題等を利用した日本に対するヘイトスピーチに関する意識が非常に低いと感じます。
    ですから、ヘイト規制は両成敗が原則だというのです。

  3. ゆき:

    yale大のMansharahaniとい講師が中国のone belt one road構想を評価している。国内の経済停滞があるにも関わらず、中国はシルクロードに関わる60か国を巻き込み、巨額を投資すると言う。最近テヘランに中国西部の町から列車が到着した。これから高速鉄道を建設し、イランの石油を直接運ぶのだ。海路より30日短縮できるらしい。日本が米国の制裁におつきあいしている間にアザデガン油田は中国に取られ、政治的にも常に擁護してくれた中国とは蜜月だ。日本が出光のことを言ってイランを振り返らそうとしても、もう遠い昔の恋人のような物なのに。中国は地下鉄も2004年にテヘランに作っている。構想は20世紀のマーシャルプランに匹敵すると筆者は言うが。