ナヌムじゃなくてハンの家
国内のみならず海外メディアまでもが取り上げ、世界的な人気を博していた和歌山電鐡貴志川線貴志駅の三毛猫の「たま駅長」が二十二日、十六歳で亡くなっていたことが分かりました。関係各位に心よりお悔やみ申し上げます。
たま駅長は、南海電鉄時代の貴志駅横にあった小山商店が南海撤退に伴う閉店で行き場を失いかけていた猫で、それを「日本初の猫の駅長」にすることで追い出さずに済ませようと機転を利かせたのが和歌山電鐵の社長になった小嶋光信氏(岡山県の両備グループ代表)でした。
おかげで猫は救われ、一時は廃線に揺れた貴志川線がこの「招き猫」に救われることになります。駅舎も猫の顔をモチーフにしたデザインに建て替えられ、立派になりました。そもそも貴志川線は、紀州の「神宮」である日前・國懸(ひのくま・くにかかす)神宮と竈山(かまやま)神社、伊太祈曽(いだきそ)神社のいわゆる「三社参り」ができる路線です。
ひょっとすると後任は、同じ三毛猫の「ニタマ駅長代行」かもしれません。動物を利用することへの意見はさまざまでしょうが、ネコカフェならぬネコトレイン(貴志駅構内にカフェとグッズのショップあり)として愛され続けてほしいものです。たま、ありがとうね。
http://www.sankei.com/world/news/150623/wor150623……
▲産經新聞:元慰安婦が天皇陛下や安倍首相、産経新聞などを提訴の構え 2000万ドルの損害賠償 米国の裁判所に
昨日記事のつづきのようになりますが、私たち日本人に対する「ヘイトスピーチ」にあふれた韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)らの平成四年以来の行動がわが国側の「嫌韓」をいよいよ招き、この挺対協の正体を朝日新聞社の下村満子元論説委員のような「親韓・反日派」にまで暴かれてしまったことは、もはや朝日自身がこれまで流布してきた「慰安婦問題」が虚報だったと観念せざるを得なくなる前兆現象だったと申せるでしょう。
米国で連邦地方裁判所に提訴するならすればよいのです。その事実を日本に来て派手に会見を開き、約一億二千六百万の日本人に知らしめてください。天皇陛下を訴えるとは、ただでは済みません。上等です。だから大大的に発表してください。
「ナヌムの家」なんぞというかつて園長が女性に性的暴行を加えた現場でチマチマと会見を開かないで、ローマ教皇庁に教皇訪問を拒否された場所でわめいていないで、在韓米軍慰安婦を除外する女性のための施設がどれほどの福祉精神をもって活動しているのか、騒ぎに巻き込まれたサン・フランシスコ市の皆さんにもよく分かるよう述べればよいのです。
分かち合い(ナヌム)ではなくて「恨(ハン)の家」に名前を変えて出直してください。
皇紀2675年(平成27年)6月25日 9:48 AM
たまちゃんが去り、寂しいな。私は過去に二匹の猫を飼っていました。人間が持つ強欲の支配する世界から目をそらしたいときは、猫を見るに限ります。自由に散歩できなくなり、ほぼ毎日客に囲まれる生活は疲れたでしょう。お察しします。でもお帽子が似合うお顔はいつも菩薩のように穏やかでした。合掌
皇紀2675年(平成27年)6月25日 6:51 PM
客を呼ぶために、よりにもよって猫を駅長にするなんて如何わしいにもほどがあると思っていましたが、「たま」駅長就任の背景も、また、貴志川線がそのような大変に意義深い路線であることも全く存じ上げませんでした。あまり「神のお導き」などは信じない小生ですが、行き場を失った動物も、日本人本来の祭祀主義も何とか守り抜こうとした「祈り」が、まさに両者を引き合わせたような気がしてなりません。我が家の猫はといえば集客力など皆無で、避妊手術の後は加速度的にエンゲル係数が上昇する一方ですが、やはり寝顔を見ていると、幸多き生涯をと祈らずにはいられません。
さて、犬畜生にも劣る挺対協とやらは、いよいよ朴政権と自国国家にとどめを刺すことを決断したようですね。自社の新聞販売店の店員がいわゆる「闇サイト」で仲間を集めてカネ欲しさに殺人事件を起こした朝日新聞がこの「提訴」を全く報じないのは、挺対協のしでかしたことが一片の擁護もしようがないことをよく表していると思います。彼らは、前大統領が竹島に上陸して天皇陛下に謝罪を要求した後どのような末路を辿った(辿っている)のか理解しているのでしょうか。その蛮行に対して何もしなかった民主党政権が急速に支持を失い崩壊したように、いよいよ支持率が危険水域に入った安倍政権は今後の対応次第では急速に息を吹き返すかもしれません。いや、そうでなければなりません。
しかし、こういう侮辱を受けなければ、愚かな隣国に対して怒りを感じることすらしない日本人の平和ボケと危機意識の低さには毎度のことながら愕然とさせられます。そのような国民のどこに、無能な為政者を批判する資格があるというのでしょうか?
皇紀2675年(平成27年)6月26日 1:40 PM
たま駅長のストーリーを初めて知りました。
地域に貢献した駅長魂は御立派でした。どうぞ安らかに。
ナヌムとは分かち合いという意味だったのですね…
強制性があった被害者女性達を思うと心が痛みます。
しかし、ナヌムの女性達に関しては
「性を売ることになってでも生き抜いた自分を自分で誇ればいい」のだと思っています。
戦争下の女性の生き様として誇ったとしても非難されるべきではありません。
例え、騙されて人身売買されたとしても「あなたは強く逞しく今を生きている。」
「可哀想なおばあさん」に身を落してまで生き抜いていらっしゃいます。
一度プライドを捨てれば捨てるだけの人生になっていませんか?
彼女達の生かされた意味は【天皇陛下までもを訴える】ことではなく、
自国に真の言論の自由と子女教育を叫ぶことであろうに…と私は思っています。
誰とどう分かち合うのか…選択ミスの連続のような気がしてなりません。
(日本人が覚醒する機会を与えて下さっていることには感謝すら覚えますが…)
自分なら自決の道を選ぶのではないかと身を置き換えて考えたことがあります。
お涙頂戴作戦に対抗するには女性のプライドをもう一度女性が語るしかない。