現在のサイパン島の惨状
この画像は、北マリアナ諸島サイパン島にある彩帆香取神社です。第一次世界大戦で独国からサイパン島を奪取した大日本帝國の海軍艦「香取」内に祀られていた香取神宮(千葉県)の分霊を分祀して建てられました。第二次世界大戦(大東亜戦争)の日米激戦で焼失し、現在の社殿はその後再建されたものです。
私がサイパン島を訪れたのはいわゆる「戦後五十年」の二十年前で、この画像もその時のものであり、天皇陛下と皇后陛下の御行幸啓を賜ったのはその十年後のことでした。当時のサイパン島には日本航空が直行便を持ち、旧コンチネンタル・ミクロネシア航空もまだ就航していましたのでわが国からの観光客が全体の八割を占めていましたが、御行幸啓の直後に日航が撤退し、今や日本人観光客は全体の二割にまで落ち込んで中共人と韓国人が席巻しています。
日航は「ホテルニッコー・サイパン」とショッピングモール「ラ・フィエスタ・サンロケ」を保有していましたが、これらも手放し、現在は前者が経営再開待機状態(一度中共系の「パームス・リゾート・サイパン」として出直しましたが韓国系の「ネクター・サイパン・ホテル&スパ」が開業予告したまま未だ放置)で後者は完全に廃墟と化しました。
このホテルニッコーは天皇陛下と皇后陛下が御宿泊になりましたが、そもそもサイパン玉砕と共に多くの民間人が飛び降り自決した通称「バンザイクリフ」に近い島北部にポツリとあり、慰霊に訪れられた陛下の御利用に好都合だったのでしょう。しかし、その場所が仇になって日航は想定したほど収益を上げられませんでした。(画像はバンザイクリフに並ぶ慰霊塔)
もともと慰霊に訪れる日本人のために作られたのが昭和五十二年開業の「ハファダイ・ビーチ・ホテル(現グランヴィリオリゾート・サイパン)」でしたが、グランヴィリオ(ルートインの高級ブランド)は日本資本を維持したものの、他の「第一ホテルサイパンビーチ(現フィエスタリゾート&スパ・サイパン)」も「サイパン・グランドホテル(現カノアリゾート・サイパン)」も洒落たバーとミニホテルを併設していた「レミントンクラブ(現ネオレミントン)」も全て日本資本から中共または韓国資本に売却されています。
わが国の統治になってサイパン島のインフラストラクチャー(社会基盤)が整備され、欧米人と違い私たちは本当にこういうことが心から好きなのだと実感させられるのは、学校を作り銀行を作り、店を建てて「ご当地銀座」を作る、と。こうして繁華街となったのがガラパン地区(旧柄帆町)です。島の開発を担った南洋興発株式会社(創業者は「砂糖王」こと松江春次氏)が運搬用の鉄道まで敷き、島は現地チャモロ人と日本人で大いに賑わいました。(画像は当時第一ホテルから眺めたガラパン地区)
それが大東亜戦争で焼け野原と化し、戦後再び島をよみがえらせようとしたのは、やはり日本人だったのです。そして今、再び日本人が整備した観光資源はことごとく焼け野原となりました。苦労して作り上げたのものを簡単に中共・韓国系に持っていかれたのです。
それでもガラパン地区には何と「奉安殿(天皇陛下の御尊影と教育勅語が収められた祠)」がひっそりと残されています。訪問当時の私は(日教組教育のおかげで)あまりピンときていませんでしたが、見返した旅行記に確かに記してありました。
中共人・韓国人観光客で溢れかえっているはずの現在のサイパン島は、昼間のガラパン地区が驚くほど閑散としているらしく、夜になると移住したフィリピン人の女性たちが「客引き」をしているそうです。私が訪問したころには、そのような商売は見当たりませんでした。
ハイアット・リージェンシー・サイパンは今でも神戸ポートピアホテルの子会社経営です。日本人経営のひまわりホテルも健在で、私たちが今一度この地に散った先人たちを想って訪れ、島を浄化すべきではないでしょうか。サイパンに行くならグアム、グアムに行くならハワイという理屈も分かりますが、お金に余裕のある方は是非!
皇紀2675年(平成27年)6月21日 12:38 PM
残念ながらシナ・コリアンの大勢居る所は不愉快に成る(経験上)だけです、行く気がしません。