一票の格差以前の無気力
http://www.sankei.com/politics/news/141215/plt141215……
▲産經新聞:【一票の格差訴訟】「今回の選挙は許されない」弁護士らが会見
今回の総選挙が占領統治以降最低の投票率に終わったこと、相変わらず若年層が関心を持たないことこそ、奇しくもわが国の国債が大暴落したり、極度のインフレーョン(物価上昇)が起きたりしないことを表しています。
つまり、これほど内需萎縮(不景気)でデフレーション(給与下落)なのにもかかわらず、多くの私たち国民が何となく暮らせてしまっているのです。
危機意識が極端に低かったり、いわゆる「平和ボケ」してしまっているといったことはさておき、月給十五、六万円で家賃が月八万円のワンルームに住んで練馬区の端でもいいから東京にしがみついている若者たち、或いは赤羽あたりの大衆酒場で煮込みとホッピーをちびちびやりながら年金暮らしをする老人たちは、もはや政治に対して無気力なのに違いありません。
それは、無批判や無関心とは違うのですが、表に出て政治に対して「暴行」に及ぶほどの気力はないのです。それでも生きていけるのです。
だからといって自公連立政権に悠然と胡坐をかいてもらっては困ります。いよいよこの人たちから餓死者を出したら一貫の終わりです。
占領憲法(日本国憲法)が大好きな伊藤真弁護士らが頓珍漢なのは、一票の格差以前のこれら重大問題を「それ以前に」などとさておく思考そのものではないでしょうか。私たち国民にとって、一票の格差以前に「一人一票」の力を失っているのです。
このような訴訟闘争を起こされても、私たちはそれこそ無気力に眺めるほかありません。そしてそのことは、一票の格差問題とは何ら関係がないのです。もっと本質的な立法(予算など)や行政(教育など)の問題でしょう。
暮らしが豊かになれば、かえって政治に対しては無気力になるとも申せます。しかし、わが国の現状はそれを許さないにもかかわらず、多くが無気力であることで、「国難」の様相を呈しているのです。
レーガノミクスが十年がかりで成果を現したのは、明確に「ソ連(当時)を倒す」ことを貫いたからであり、アベノミクスが致命的なのは、政策も悪いが「中共を倒す」という目標すらないことにほかなりません。
政治家までもが無気力なのです。