山本議員の何がいけない?

皇紀2673年(平成25年)11月2日

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131101/stt131101……
 ▲産經新聞:【山本太郎手紙】 参院議運委が山本議員から聴取 陳謝も「政治利用はマスコミ」

 私が山本太郎参議院議員の言動について初めてここで取り上げたその日、彼は国会議員招待枠で参列出来た園遊会(天皇陛下、皇后陛下の御主催)で、天皇陛下に自ら書き上げた手紙を御渡しました。

 それは、東京電力福島第一原子力発電所の事故処理に当たる作業員たちが置かれている環境を憂うなどの内容だったとのことですが、彼が訴えたかったことは、多少の事実誤認を含むとしても、全く理解出来ないわけではありません。作業員たちのことを一切心配しない国民は恐らく一人もいないでしょう。

 天皇陛下も皇后陛下も事故発生以来、何度も周辺を視察に訪ねられ、被災地に御心を寄せてこられました。御存知ないはずがないでしょう。それでも、山本議員は「伝えたいという気持ちのほうが強かった」と言っています。

 そもそも彼の行為にどのような問題があるのでしょうか?

 批判の声で最も多いのは、天皇陛下の「政治利用」に当たるというものです。つまり、国家権力者ではなく祭祀を司られる(最高神官のような御存在の)天皇陛下に政治決断を御願いする行為だったから問題だというのですが、これでは山本議員に「何が問題か」を説明出来ないでしょう。現に彼は「マスコミが騒ぐことによって政治利用にされてしまう」と、これまたよく分からないことを言っています。

 また、「非常識だ」とか「マナー違反だ」といった批判も彼に対して効力がありません。山本議員の常識と批判者の常識がずれているからこそ問題が発生したのであり、足尾銅山鉱毒事件を告発した田中正造衆議院議員がとった行動と自らを重ねる山本議員には、やはり「何が問題か」を説明出来ないでしょう。

 では、ここではっきり申しましょう。山本議員のとった行動はまず請願法違反なのです。請願法第三条に、天皇陛下への請願書はまず内閣に提出しなければならないことが規定されており、立法府の議員が法律を無視して「気持ちのほうが強かった」というわけにはいきません

 そして、山本議員のとった行動は明らかな憲法違反です。占領憲法(日本国憲法)はおろか専制権力を有さないことがしっかりと書かれていた大日本帝國憲法にも違反しており、彼の行いは天皇陛下の御存在と私たち臣民の関係を脅かしました。

 明治の田中代議士は、天皇陛下に直訴状を御渡ししようとした頃には既に議員辞職しており、その場ですぐ取り押さえられ、身柄を拘束されています。田中代議士が死をも覚悟した行為と、議員のままいわば「議員特権」で参列した園遊会の席上、政治的な内容の手紙を天皇陛下に直接御渡ししてしまったこととは、同質の行為ですらありません。

 これが立法府の議員として許されない法律違反に当たるということを、彼も私たちも明確に認識する必要があるのです。山本議員のような幼児性の発露を隠さない人物に、常識だの何だのと批判しても通じません。

 私は役者としての「山本太郎」が好きでした。深作欣二監督の『バトル・ロワイヤル』や伊丹十三監督の『マルタイの女』など、彼はとても芝居の巧い役者だったのです。それが今やすっかり目つき顔つきまで変わってしまい、いくつもの政治団体に利用された挙げ句、このような行為にまで及んでしまいました。彼を国会議員にしてはいけなかったのです。

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『山本議員の何がいけない?』に3件のコメント

  1. 一般ピープル:

    いつもながら、合理性と筋がしっかりした、かつフェアな識見には本当に感嘆します。

    同じことを取り上げているブログは多々ありますが、頭と感情で反応しているようなものが多い中で、こちらの論調はいつも肚がすわっていて実に清々しいです。

    大人の男、まさに侍(士)のような方ですね。

  2. 堀井:

    私の夫も、山本太郎が好きだったそうです。今回の事件で幻滅し大嫌いになったと呟いておりました。

  3. ひろ:

    この一件で請願法を見て、「天皇」の文字がこういう法律に突如としてあらわれることに強烈なる違和感をおぼえました。しかも、
    でも、調べてみると戦前においても、天皇陛下への請願書の奉呈の規定があったんですね。

     請願令・大正六年・勅令第三十七号
    10条「天皇に奉呈する請願書は封皮に請願の二字を朱書し内大臣府に宛てその他の請願書は請願の事項に付職権を有する官公署に宛て郵便を以て差すへし」

    占領憲法を字義どおり読むなら天皇陛下に何かをお願いすることなどあり得ないのに、それでも、現在の請願法に規定があるというのは、「祭祀王」である天皇陛下を介して「お願いする」という本来のありかたが、相当苦しい表現形式であるとはいえ、ここに表出していると肯定的に解釈し得るのかな、とも思いました。