最高裁は家族崩壊を促すか
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013071000593
▲時事通信:婚外子相続格差、違憲判断も=「法の下の平等を」-最高裁の弁論終結
結婚していない男女間の子(非嫡出子または婚外子)の遺産相続分を夫婦の子(嫡出子)の半分とした明治以来の民法の規定が占領憲法(日本国憲法)に違反するかが争われた二件の家事審判のうち、既に亡くなった和歌山県の男性の遺産分割を巡る特別抗告審弁論が十日午後、最高裁判所大法廷(裁判長=竹崎博允長官)で開かれ、弁論はこの日で終結しました。
最高裁判例を見直すための大法廷が開かれたことから、今秋にもこれまでの合憲判断が覆されるのではないかと報じられています。
これは繊細且つ極めて重要な問題なので、さまざまなご意見があるのを承知の上で私の考えをはっきりと申します。「反対」ならばそれでも構いませんが、このような考え方もあるのだということを、この際明確に申し上げておかねばなりません。
まず、大前提をお断りしておきますが、わが国には憲法裁判所がないことと、さらに違憲か合憲かの対象が「占領憲法」であることが重要なのではなく、そもそも大日本帝國憲法第十九条に臣民が等しく公務に就任出来ると明記されています。
何のことかと申しますと、これまで帝國憲法には「法の下の平等」が記されていないと間違って解説されることが多かったのですが、江戸時代まで公務就任は世襲の特権だったため、臣民が人として平等であることを当然とし、これを特記することで証明しているのです。
なお、余談ではありますが、帝國憲法が女性の参政権を認めていなかったという解説も大間違いであり、第三十五条の公選規定に女性を除外するような記述は一切なく、憲法の下の衆議院議員選挙法を改正するだけで、実は最後の帝國議会議員選で三十九名もの女性議員が誕生しました。現在多くの私たち国民は、この記憶を全く失っているのです。
さて、この裁判の争点は遺産相続に関するものであり、個人の尊厳が問われているものではありません。いえ、抗告側は個人の尊厳が傷つけられたということでしょうが、遺産相続は家族の問題であり、個人の問題ではないのです。
非嫡出子であることで、就学や就職などの場面で侮蔑的差別を受けたならば話は変わりますが、亡くなった親の遺産を相続出来るのは家族のみであり、残念ながら生まれたわが子を戸籍に入れなかった親の、「家族」を軽視した本能に反する行動に間違いがあったと申すほかありません。
だからこそ誰もが絶対にしてはいけない無責任・無自覚な行為が、養育の実体の有無に関わらず、非嫡出子として家族から切り離し放置することなのです。しかし、もう一度申しますが、非嫡出子本人がそのことで人として平等に扱われないということがあってはなりません。そのことと家族かどうかは、親の行いによって既に別の問題にされてしまっているのです。
私はかつて、映画『サマーウォーズ』を評価する中で、非嫡出子(陣内侘助)を正統な家族の一員として迎え入れようとする母親(陣内栄)の勇姿を讃えました。いわば亡き夫(陣内徳衛)のふしだらな行いの顛末でも、その血を継ぐ者を「皇統保守」に従うかのように受け入れる強い女性の姿は、無気力な大人の多い世の中で極めて凛凛しかったものです。
人はかくあらねばならないものですが、そうしなかった者の不始末を法で罰することはあっても、法で認めることでは決してありません。抗告側の心情は察しますが、だからといって最高裁判例までひっくり返れば、わが国は「家族」が崩壊してしまいます。それは皇室の崩壊に直結していくのです。
司法は時に一国の為政者を凌ぐ強烈な国家権力ですが、私たちは、家族を壊しても構わないというような法の誤った秩序を創出すべきでないと声を上げるべきではないでしょうか。最高裁に影響を及ぼすことは極めて難しいですが、皆様のご理解を賜りまして、ご同意いただけるならば何卒ご協力ください。
皇紀2673年(平成25年)7月12日 2:57 PM
占領憲法は憲法ではないということは大前提なのですが
現実にわが国の裁判所ではこの占領憲法が前面に出てきます。
しかし、この占領憲法第14条の「法の下の平等」にしても
個々の法律を機械的に適用せよと云っているのではないでしょう。
第12条で、この憲法が保障する自由及び権利を国民は濫用してはならない
常に公共の福祉のために利用する責任を負ふ
となっています。ここでは、家族の安定が公共の福祉と考えられるでしょう。
嫡出子と非嫡出子に相続で区別をしているのは、家族の安定のためであり
もし、この差別をなくすことを裁判所が推進するならば「法の下の平等に反する」ことになります。
また、ここに上げられてる財産とは親の財産であって
第29条に、財産権は、侵してはならないとして
ここでも、財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律で定める
としています。
本人が財産をどのように分配するかは本人に任されるべきであって
本人が承認もしていないのに死後に分捕るようなことを裁判所が推進するならば
「財産権を侵す」ことになるでしょう。現状でも本人は遺言で非嫡出子に多くを残すことも
できたわけですが、それをしていないという事実を重んじるのが裁判所の在り方でしょう。
本人の意思を無視してまで非嫡出子の言い分を裁判所が認めるのならば
「財産権を侵し」「公共の福祉に反する」ことにもなるでしょう。
元々、憲法で家族内のお金の使い方を規定するなどあってはならないことです。
誰かそのような法律の権力を家庭内に持ち込みたい人がいるのでしょうか。
兄弟間の機械的な等分相続も家庭の混乱を増産したと思います。
裁判所は、家庭を守り社会を守りそして国家の安定を守る為にあるということです。
混乱させる裁判所などいりませんよ。
(占領憲法は混乱を誘導するためのものですから・・こんなことばかり起こります)