「紀元節」を取り戻そう!
本日は紀元節です。神武天皇が橿原神宮(奈良県)にて「辛酉年春正月、庚辰朔」に御即位したとの『日本書紀』の記述に基づき、明治六年に前年の「新暦」採用の紆余曲折を経て制定(太政官布告)されました。
占領憲法(日本国憲法)下に入りGHQによって紀元節は否定され、改めて建国の祝日とする政府の方針も掻き消されましたが、昭和四十一年に現在の「建国記念の日」と定められています。しかし、これは当時の佐藤内閣が政令で日付を定めたもので、いわば極めて危ういものと言わざるを得ません。
宮中祭祀としての紀元節祭も占領統治に奪われたままとなっており、先帝陛下も今上陛下も臨時御拝という形しかおとりになれないのです。
憲法問題を巡って護憲・改憲・無効の議論があるのは申すまでもありませんが、いずれにせよ「占領憲法の有効期限は昭和二十七年四月二十八日に切れている」という法理原則を無視することによって、皇室祭祀も皇室典範も勅語・勅令も皇族会議も臣籍降下されたままの十一宮家も、すべて原状回復できません。これでたとえ制度として国家防衛を強化しても、わが国を護れないのです。
安倍晋三首相が果敢に憲法問題を提起され続けるのは勇気ある行動であり、私たちの暮らしに直結するさまざまな問題が占領憲法の有効状態に起因することを多く知らせてくれますが、敢えて意地悪な表現で申せば、その性質上占領憲法を改正して自民党政権が作る「国防軍」は自民党のための軍隊になりかねません。中共の人民解放軍が共産党の軍隊であるのと同じです。
ということは、薩長維新政府にとって「逆賊」とされた会津藩の白虎隊と同様、何らかの自民党政府方針に反対した者はそれだけで処刑されてしまいます。
これは相当に恣意的な指摘だと言われるかもしれませんが、国柄を記したに過ぎない大日本帝國憲法の下でさえ、私たちは勝手な法律を作って官憲が臣民を弾圧しやすくしたという過ちをすでに犯しました。この反省に立つならば、皇室祭祀を取り戻すことも忘れて国防軍を作るなど決して認めてはなりません。
従前の占領統治体制保守という考え方は、いわゆる「米ソ冷戦構造」の中で有用だったにせよ、今日ますます不用な主張です。政治的思惑によって国柄を捨て、捨てたことを国民に隠し、取り戻すことを忘れた国家に、果たして明るい未来があるのでしょうか。
韓国の李明博大統領が昨年、天皇陛下に対する重大な不敬発言に及んだことは、恐らくわが国に潜伏する工作員が「『天皇制』を軽視する民主党政権が多数の国民に支持されて誕生した」と彼に耳打ちした間違いに端を発していますが、事実と異なったために強烈な反発を受けました。
中共共産党の習近平総書記が天皇陛下への拝謁を強く希望したのも、押さえるべきを押さえてわが国政治に「我田引水」を仕掛ける目的です。そして、何よりこの彼らにとって「邪魔な存在」の滅亡を彼らが望んでいます。つまり、皇室を亡きものにした国家の政府であろうが軍隊であろうが、新興の暴走国家にとってもうその国は脅威でも何でもなくなるのです。
占領統治体制を保守していれば事が済んだ時代はとっくに終わりを告げ、それでも保守したままのわが国には現在、そのつけが回ってきたかのように多くの問題が発生しています。紀元節に触れ、私たちはもう一度私たち自身の姿を見直しましょう。奪われた紀元節祭を天皇陛下に御返ししようではありませんか。
皇紀2673年(平成25年)2月11日 9:20 AM
明治二十二年二月十一日
紀元節 大日本帝国憲法公布 祈念日
明治天皇が皇祖皇宗の神霊に大日本帝国憲法の成立をご報告なされた日でございます。おめでとうございます。
皇紀2673年(平成25年)2月11日 8:55 PM
今回の記事は極めて重大な御指摘と思います。
白虎隊の悲話は良く知られておりますが
その前に上野で薩長軍に叩き潰された「彰義隊」も
「尊皇」を掲げておりました。
後に明治政府に反逆した西郷軍も熊本神風連も然り、
大正時代の大本もです。(はじめ皇道大本でしたが不敬とされ大本にされてしまいました)
そして昭和維新運動も(この場合は黒幕の意図は別にして)同様です。
すべて恣意的に
「尊皇を掲げていたのに逆賊」とされてしまったのです。
自民党が事実上創価学会によって牛耳られている今、
真正保守派が「現代の逆賊第一号」にされる可能性は十分にあります。
こんな不名誉な事はないですよ。
また、カルト教祖や「商売の神様」如きを拝む下賎な者共に「改憲」されて自衛隊を動かされてはたまった物ではありません。
資本主義体制と官僚機構を「保守」するだけの勢力とはもはや、いかなる形でも組むべきではないと考えます。
彼らこそが占領統治体制を支え続けている事はもはや明白ですから。
皇紀2673年(平成25年)2月11日 11:25 PM
[…] 今日のこの日が『紀元節』として各地で祝賀行事が催され、商店から一般家庭に至るまで国旗日の丸がはためくようになったその日こそ、日本は真に独立国としての地位を回復したといえるでしょう。 関連:2月11日が「建国記念の日」と呼ばれる本当の理由 | 朱雀式ニュース(昨年の紀元節の記事) 遠藤健太郎オフィシャルブログ » Blog Archive » 「紀元節」を取り戻そう! […]