東京駅復元の許せない代償

皇紀2672年(平成24年)10月2日

 http://www.ayrdistrictpool.com/2009/03/post-2.html
 ▲空中権:東京駅の空中権取引と新丸の内ビル(平成二十一年三月二十二日記事)

 東日本旅客鉄道(JR東日本)は一日、大正三年十二月開業当時の姿に復元した東京駅丸の内駅舎を再開業させました。鉄筋煉瓦造り三層のこの日本型西洋式建築は、わが国を代表した建築家の辰野金吾と葛西萬司の設計により落成したものです。

 大正三年当時はまだ何もない野原だった丸の内側に駅本屋が建設された理由は、丸の内口中央に皇室専用貴賓口が造られたことからも分かるように、計画当初「中央停車場」と名づけられた東京駅は、皇居の正面に置かれたまさにわが国の国家的象徴のような建築でした。

 大正十二年九月一日の関東大震災にも耐えた東京駅は、のちに米軍による無差別大量虐殺行為のため三階部分が破壊され、占領統治期の昭和二十二年、すなわち占領憲法(日本国憲法)と占領典範(現行の皇室典範)が施行された年に元の姿を無視した修復がなされます。

 それが六十年以上も私たちの目に慣れ親しまれてきた東京駅だったのであり、いわゆる「辰野建築」の復元が計画された時、私は心の底から嬉しかったものです。高層化などの新築ではなく、かつての姿を取り戻そうとするJR東日本の方針を歓迎しました。

 ところが今日の丸の内は高層化が進み、まるで皇居を見下ろして宮城内を覗き見るような建築物にあふれ、ともすれば皇居に対する破壊活動(テロリズム)を許しかねない地区と化しています。

 そして、それこそは東京駅の復元工費約五百億円を浮かせようとしたJR東日本の策謀によって形成されたものだったのです。東京駅周辺が特例容積率適用区域に指定されたことを利用し、低層の東京駅が利用しない空中部分の指定容積率(空中権)を複数の建築敷地へ売却(移転)することで工費を捻出した結果、丸の内側の東京ビルヂングや新丸ビルなどがすべて高層化しました。

 工費捻出の知恵と申せばそうですが、特にJR東日本は明らかにJR東海とは違う社の体質に異様な部分(革マル派らの浸透)を匂わせてきましたので、こうして見ますと皇室を軽視した都市計画へ誘導したように思えるのです。これでは折角の復元が台無しでしょう。現に高層建築に囲まれることになった復元東京駅は御行幸通り(都道四百四号線)から見てとても窮屈そうです。

 東京駅は占領憲法と同じ姿をさらし続け、それでも六十五年後に本来の姿を取り戻しました。私たちも本物の憲法(大日本帝國憲法)を復原しなければなりません。しかし、それが国家生命の継承(皇室祭祀)を無視した唯物論的な現世個人主義の顛末として取り戻されたのならまったく意味を持たなくなるのです。

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『東京駅復元の許せない代償』に1件のコメント

  1. allco:

    ドクター中松が「日本維新の会」を商標登録
    http://hamusoku.com/archives/7485964.html

    あ!国際裁判所とかで、共同使用とか、半分個とか
    も選択の内でしたよね。

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    似非人権法案に警戒!
    燃えてくれないか。。。

    http://www.bll.gr.jp/news2012/news20120917-2.html
    秋の臨時国会で制定めざす
    厳しく総括し実現へ全力で
    臨時中執委

    「解放新聞」(2012.09.17-2585)