少年の写真、国連展示却下
本日11月30日は、秋篠宮の文仁親王殿下御生誕の日です。心より御祝い申し上げます。
また、今上陛下が御療養中にもかかわりませず、東日本大震災で殉職された消防団員や消防職員の慰霊祭に御親臨を賜りましたことは、3月16日の「緊急勅令」に当たられる御言葉に陛下御自らが即されたと申せましょう。私たち臣民はこのことを重く受け止め、改めて震災殉職者のご冥福をお祈り申し上げます。
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http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20111……
▲毎日新聞:発信箱 焼き場に立つ少年の写真=伊藤智永
毎日新聞社の伊藤智永記者は、かつて麻生太郎首相の実績について「踏襲・未曾有(漢字の読み間違い)騒動しか思い出せない」と書いた記憶力すらない新聞記者ですが、瑞国(スイス)のジュネーヴにある連合国(俗称=国際連合)欧州本部に設けられた原子爆弾に関する常設展示を巡る事件を報告した価値は、彼が何を意図したかはともかく認めたいと思います。
米軍がわが国の広島市と長崎市に投下した原爆のもたらした人類史上最悪の災禍を広く全世界に知らしめるべく、長崎市が提示した常設展示用の写真の中に、米海兵隊のジョセフ・ロジャー・オドネル軍曹が当時撮影した『焼き場に立つ少年』(画像参照)がありました。
ところが、この写真の展示は確かに却下されたのです。連合国の職員たちが「直立不動の姿勢が軍隊みたいだ」「この子は悲しいのに泣いていないじゃないか」と不快感を示したことがその理由だそうですが、そもそも被爆された方々の凄惨な様子を記録した写真にも物言いがつき、挙げ句には原爆だけが悲惨だったわけではないと主張されて終わりました。これでは常設展示の主旨を彼ら自身が否定したも同然です。
独国によるユダヤ人の大量虐殺に関する展示の申請があるなら、それはそれでおやりになればよいのであって、真偽も知れない「南京大虐殺」の話まで彼らが持ち出したとなりますと、それは連合国の本性をむき出しにしたと言えましょう。私たちは、改めて「国際連合」などと外務省が偽称させている組織はないと思い知るべきです。
先日亡くなられた落語家の立川談志師匠は、ご生前に「皆で価値観を共有しているということは面白いことだ」と述べられましたが、現代の私たちまでもが仮にこの写真の少年を見て「軍隊みたい」「軍国主義か」といった違和感を持ったならば、もうそこにわが民族共有の価値観は失われたということでしょう。
しかし、私の知る限りに於いてこの写真に対する評価は現在も変わらず「昔は子供もしっかりしていた」というもので、弟の死を背に負った兄としての毅然たる態度をたとえ敵兵の前でも示した少年の佇まいに涙が止まりません。教育勅語などによって培われたそのような民族の価値観を理解しようともしない連合国が、わが国をどのように統治したか思い起こせば、この写真が却下された理由は明らかなのです。
談志師匠は落語家ですから、価値観の共有がないところに笑いなど起こらないことをよくご存知でした。万人に知られていない方の物真似をしても笑いが起きないように、この写真を見て「悲しいのに泣いていない」ではなく、自らが悲しくなって泣き出すほどの価値観の共有を連合国と出来るわけなどありません。
占領憲法(日本国憲法)第9条の「素晴らしさ」とやらを全世界に訴えてきたと主張する組織が嘘をついていると明言出来るのは、ことほど左様に価値観の共有は難しいのであって、欧米各国は「自国防衛の能力がないなら口を閉じよ」「かといって日本が軍隊を持たないよう適当に言わせておけ」というのが本音であり、真の憲法(大日本帝國憲法)を取り戻して自立しなければ、外務省云々を言う前に、つまるところこの写真の展示もままならないのです。