リビア、革命国家の運命

皇紀2671年(平成23年)10月22日

 http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-237377……
 ▲ロイター:カダフィ大佐は頭部への銃弾で死亡、首相が検視結果を発表

 利比亜(リビア)の国家元首だったムアンマル・アル=カッザーフィー閣下(カダフィー大佐)が20日、潜伏先の故郷シルトで死亡した模様です。

 私は、わが国が東日本大震災で深く傷ついている中、表向きは北大西洋条約機構(NATO)による、しかし実態は英米仏が、結果として9634回に及ぶ空爆によって利比亜内政に介入したことを厳しく非難し続けてきました。

 日頃から「反戦」を唱えていたはずのわが国の平和活動家たちが一様に決して大きな声を上げなかったのは、カッザーフィー閣下が「市民に圧政を敷いた独裁者」であり、よって「市民による革命」を支持するとした破壊活動家(テロリスト)にほかならなかったことをあらわにしています。

 彼らは、都合よく「世界に民主主義を広める」と言ってきた米国政府とよく似ており、あくまで個人を主権者とし、その理性と意志と心情によって都合よく「平和」の意義が書きかえられるのです。そのせいで多くの人の生命が奪われました。

 カッザーフィー閣下は革命を起こした人物であり、独裁によって少なくとも3州の連邦から始まった多部族混在国家をまとめてきたのですが、革命は次の革命を呼ぶのです。彼は狂乱した兵士に惨殺されました。(国際法によれば、カッザーフィー政権と国民評議会は抗戦団体同士であり、よって評議会側には捕虜の確保義務があったため、これに違反した新しい利比亜をわが国が国家認証してはいけないはすです)

 何度も申しますが、トリポリを拠点にした国民評議会を支援し、市民に銃をばらまいて殺戮を扇動したのは英米であり、その目的はガソリン精製に適した利比亜の石油利権を掌握することです。

 私たちは「そのためにこそ民主主義というものがある」という現実を思い知らねばなりません。「国民の意見が政治に反映される」などという綺麗事は、当の欧米各国ですら通用していないではありませんか。

 米国のヒラリー・クリントン国務長官は18日、突如トリポリを訪問して「(カッザーフィー閣下が)早く殺害されることを望む」と発言していたのであり、バラク・オバマ大統領も英国のデイヴィッド・キャメロン首相も、閣下死亡の報を受けてこれを歓迎し、両国の関係強化を表明しています。この連中は、世が世なら仏革命を支持し、保守主義を否定するでしょう。

 それでも、閣下が多部族の統治に苦慮していたように、国民評議会は想定通り既に分裂の気配を見せており、利比亜は欧米の石油強奪が終わるまで混乱させられるでしょう。まずは旧知の縁で伊国が乗り込んでいくかもしれません。

 中共にしても北朝鮮にしても、革命によって誕生した新興国は、また必ず革命によって討ち滅ぼされ、殺戮と破壊が繰り返されます。これを否定する英国の保守主義も政治的ですが、それを排した皇室祭祀によってのみ世界平和は実現するのです。

 ところが、そうなっては困る革命国家が世界中にあり、彼らは祭祀を理解したがりません。実践すれば軍産利権が消滅するからです。すなわち、わが国の「反天皇制」を掲げる平和・人権運動は、まず彼らに騙されて誕生したものであり、だからこそ利比亜の人々が爆撃で多数死亡しているにもかかわらず、私のように疑問を呈そうとも怒りの声を上げようともしません。

 わが国は2671年も国家のかたちが変わっていないからこそ、私たちが安心して自由でいられるのであり、資源を横取りして賭博に興じるような欧米的価値観に振り回されてはならないのです。振り回されるから対等ではいられなくなり、彼らをそうとよく知ってつき合えば、どの場面でも「日本」を失うことはないでしょう。

スポンサードリンク

Comments are closed.