コックと泥棒その妻と愛人

皇紀2671年(平成23年)5月1日

 4月29日には英国王室が大きな話題を提供したようですが、もともと映画興行界が名づけた「黄金週間」で、もしお時間があればご覧いただきたいのが、平成元年製作・翌年日本公開の英仏合作映画『コックと泥棒、その妻と愛人』です。

 監督は『英国式庭園殺人事件』以来、極めて独創的と言える数々の作品を世に放ち、清少納言の『枕草子』を下敷きにした映画を生み出したことでも知られる英国のピーター・グリーナウェイ。撮影はサッシャ・ヴィエルニー、音楽はマイケル・ナイマンという、いわゆるキース・カサンダー製作の「グリーナウェイ組」作品で、私が衝撃を受けた映画のうちの一つです。

 最初に申し上げておかねばならないのは、本作は俗に「分別がある」と言われる大人以外の鑑賞には堪えません。グリーナウェイ監督作品全般に於いてそれは言えますが、しかし、ただの「エログロ映画」の類いではないことも付記しておきます。

 さて、物語はこうです。

 暴力的な大泥棒アルバート(『ハリー・ポッター』2代目校長役のマイケル・ガンボン)が経営する仏国料理店のコック(『タンゴ』などのリシャール・ボーランジェ)は、アルバートの妻で抑圧された日々を送っているジョジーナ(エリザベス1世を演じたヘレン・ミレン)が店の客で学者のマイケル(アラン・ハワード)を愛人にして現実逃避していることを知っており、やがてアルバートにもばれてしまいました。

 アルバートは躊躇なくマイケルを惨殺し、夫への復讐を誓ったジョジーナは、どんなものでも食材に料理を作るというコックに、なんとマイケルの亡骸を料理させ、物欲にまみれてきたアルバートに食べさせることを思いつくのです。

 ジョジーナは銃を突きつけ、アルバートにマイケルを食べさせますが、一発の銃声が鳴り響いて、このおぞましい物語は幕を下ろします。

 本作には、実はサッチャリズム(英国のマーガレット・サッチャー首相が推し進めた経済政策)に対する痛烈な批判が込められており、いわゆる「小泉=竹中路線」と言われた小泉政権を経た私たちにも、その内容がよく理解出来ると思います。

 極端な規制緩和と民営化で、外国資本の賭博的経済行動を大いに許し、国内企業を破綻させ、物価は上がるのに平均給与が下がり続け(スタグフレーションが起こり)、金融街シティがやけ太るのに対して失業者を街に溢れさせたサッチャリズムの象徴が、このアルバートなのです。

 これを終わらせるべき現実から逃げてきたジョジーナは、ついに最後で終焉への引き金を自らひくのですが、私たちは現下の賭博経済(資本主義)を終わらせることが出来るでしょうか。

 私は、欧州に於けるその大きなうねりは仏国から沸き上がると見ています。その時、日本は「國體」を説いて世界を導くことが出来るでしょうか。そのようなことが出来る政府を、私たちが用意しておかねばなりません。今のままではまるで駄目だと、誰もが分かっているでしょう。

 私たちは、愛人と戯れて現実から目を逸らしているだけです。それが人を生け贄にしてしまう罪深いことであると知った時には、もう遅いに違いありません。今こそ、引き金をひく時なのです。

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『コックと泥棒その妻と愛人』に1件のコメント

  1. 一般人:

    遠藤さんは「ダンサーインザダーク」とか「マッチ工場の少女」みたいなヨーロッパ映画を紹介されてますが、わかりやすい映画とかでなんかいいのないですか?