朝日社説「君が代判決」

皇紀2671年(平成23年)1月30日

 http://www.asahi.com/paper/editorial20110129.html
 ▲朝日新聞:君が代判決—少数者守る司法はどこへ

 このような朝日新聞社の社説、または日本教職員組合(日教組)らの主張に対し、国旗・国歌は自分たちの暮らしに特段の関係がないものと感じている人は「個人の自由は守られるべきだ」と考え、特に反感を抱かないのではないでしょうか。

 しかし、ここにこそ「私たちの暮らしをよくしよう」という日常的な議論に大いに関わる問題が潜んでいることを知らねばなりません。その重要な関連性を無視し、それぞれを別個の問題と考えているために、結局は行政や立法の不正はなくならず、不景気はこれからも続くのです。

 国家と国旗・国歌の成り立ちは言うまでもなく、ゆえに最高裁判所は国歌斉唱を「思想の自由」と何ら関係がないものとしました。いわば「日本」や「韓国」「米国」などのそれ自体が思想であるはずなどありませんから、この判例と判決が「国民一人ひとりが大切にする価値や譲れぬ一線」を無視したものと主張するのは全く意味をなしていません。

 ところが、日本左翼は日章旗と君が代を「侵略戦争の象徴だ」と主張しているため、その思想と国旗・国歌を関連づけているのだと思います。ならば、世界中の国旗・国歌を否定して周り、各国の政府や国民の声を調査したほうがよいでしょう。

 彼らは恐らく、わが国が近代戦に於いて初めて敗れた大東亜戦争のことを指して「侵略戦争だった」と言っているのだと思いますが、その是非を巡る議論があることや、やはり思想闘争を公務に持ち込んでいるではないかと批判されるべきことはともかくとして、これほど「世界は小さくなった」と言われる国際化の中にわが国もあって、侵略戦争の歴史を数多有する国の人々が正常・平常に国旗や国歌を大切にしている場面をどう見るのでしょうか。

 すなわち、子供たちの前で国旗・国歌を否定する、或いは否定も反対もしていないと言うわりには教育の場で処分を科されるような態度をとり続けてきた事実をもって、子供たちが成長したのちの他国への侮辱を容易にしてはいまいかと指弾せざるをえないのです。外国人とて、戦争行為を是として国旗・国歌を大切にしているのではありません。

 近年、特に中共や韓国、北朝鮮などへの批判が政治論から感情論へと発展し、若い世代を中心に平然と他国の国旗を侮辱するような行為が見られるようになりました。これこそ、まさしく日本左翼が非難する「愛国扇動」行為こそ、日本左翼が国旗・国歌を冒涜し続けてきた顛末にほかなりません。

 多数の意見を尊重する「民主」社会と言いながら、「少数者の人権を保護」せよと書くのは、その行き着く先に少数たる独裁者による支配を許し、別の道には個人を主権者とする「民主」主義による「恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし」うることのない、ともすれば他人の暮らしを侵害してでも我を通すような社会になりゆくほかないでしょう。いえ、現下のわが国はもうそうなりつつあるのです。

 今回の判決に対して、朝日新聞社が「『公務員なのだから』と理屈を並べ、忍従をただ説いている」と書く一方で、公務員の勝手な行ない(職務不履行や特定の利益誘導など)を批判し、その撲滅を説いています。それは「公に尽くす者としての自覚と責任」を説いているのであり、これほど重要なことを理解している新聞社が公務員による別の勝手な行ないだけは擁護しているというわけです。

 罰や処分など、行なわれないがよいに決まっています。あくまで「個」や「我」を主張して式典を騒乱させるのも「権利」だとする他者に想いを巡らせない者は、他者と関わる「はたらく」こと自体が出来ないのでしょう。このような教育を蔓延させた占領統治期以降の自民党(創価学会=公明党と民主党もだが)と日本左翼は、容易化した国旗侮辱の外国排斥と引きこもりという苦悩の多発の責任を取りなさいと言いたい。

統一地方選直前!2・13「日本よ、たちあがれ!」第二回決起集会
 http://www.shinhoshu.com/2011/01/post-173.html
▲詳細は上記リンク記事をご参照下さい。皆様のご参加をお待ちしています。

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