世界の平安と人々の幸せを
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695……
▲日本經濟新聞:一般参賀に7万7000人、天皇陛下「平安と幸せを」
天皇陛下は、常に人類の進むべき道を御示しになられるのですが、幾多の開戦時に於いて私たちは必ずしもその通りには出来ないできました。人の思いやりを信じて生きる者(国家)と、拝金の価値しか信じないで生きている者(国家)とでは、対話が成立せず、やむをえず戦争になってしまうのです。
讀賣新聞社は3日朝刊の第一面に、ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授と外務省の薮中三十二元事務次官の対談を掲載し、沖縄県石垣市尖閣諸島沖の中共漁船当て逃げ事件に端を発して日本民族が再び日米同盟の重要性に目覚めたなどと啓発しています。ナイ教授が提唱してきた「ソフトパワー戦略」に関する解説を少しばかり歪曲してでも、氏の主張を「美しいもの」と印象づける讀賣新聞社のような日本のメディアは、あくまでも官民を挙げて日本に対米従属を続けさせたいようです。
自立しない者(国家)は、必ず不毛な争いに巻き込まれてゆきます。1日付けの東京スポーツには、経済評論家の森永卓郎氏が「私は日本丸腰戦略というのを提唱しています。軍事力をすべて破棄して、非暴力主義を貫くんです。仮に日本が中国に侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族がいました』と書かれればそれはそれでいいんじゃないか」と発言したことが掲載されていたそうです。
これなどは、一端の文化人が私たちに向かって「死ね」と言っているのに等しく、仮にも森永氏は反戦・非核の平和主義を標榜しているにも拘らず、他国による武力侵略を受け入れてしまっている(自国による武力の行使を否定しているのみ)ではありませんか。軍事力を戦争回避の道具に使う知恵も持たず、どの口が平和主義を語るのでしょうか。そして、一体どの国の教科書が、愚かにも滅びた民族をわざわざ讃えたりするものでしょう。
私は旧年来「無戦・無核の平和主義は、天皇陛下と祭祀によって培われる」と申してまいりました。何らの精神的支柱もなく掲げる平和主義は、どれも森永氏のようなものばかりであり、残念ながらこのようなお歴々が北朝鮮による日本人拉致被害者の救出にも何ら関心を示さずにきたのです。
国家の基軸を語るということは、右派・左派や保守派・革新派の対立などでは決してなく、地球とその生命の本能を守るのか否かしかありえません。皆が生き残るために自らが死ぬことはあっても、皆が滅びるために皆ただ死ぬことが、今上陛下の言われた「世界の平安と人々の幸せ」であろうはずなどないのです。
例えば、改憲・護憲の対立ではなく、日本国憲法という名の占領憲法を無効にし、ただちに自前の憲法を復原しましょう。