ゴーストップ事件の現場

皇紀2670年(平成22年)10月27日

 帝国陸軍VS大阪府警!?

 大阪市北区天神橋筋6丁目にあった「天六阪急ビル」が今夏、解体されてしまいました。実はこの建物は、大正14年高架プラットホームを設けた日本初の高層ターミナルビルとして建造されたもので、当時は新京阪鉄道「天神橋」駅でした。昭和18年以降、阪急電鉄の所有となってから改装を経て、平成22年春まで営業(但し、阪急および大阪市営地下鉄「天神橋筋六丁目」駅の機能は地下化)していたものです。

 今回の解体に併せて、昭和8年6月17日に発生したゴーストップ事件の現場とも言える大阪府警察曾根崎署天六派出所も解体・移転するのでしょうか。確か天六阪急ビルと一体のような派出所だったと記憶しています。

 このゴーストップ事件とは、陸軍第4師団第8連隊第6中隊の中村政一一等兵が天六交差点で信号無視をしたとして、曽根崎署の戸田忠夫巡査がこれを注意したところ、衆人環視のもとで2人が殴り合いになったことに端を発する「帝国陸軍VS大阪府警(当時の内務省)」のことです。戸田巡査が中村一等兵を連行した先が天六派出所でした。

 当時の臣民たちは半ば事件の推移を面白がって見ていたそうですが、壮絶な軍と警察による事情聴取合戦の中、耐えきれずに自殺された方もおられます。また、曽根崎署の高柳博人署長は、本件処理に奔走した疲労困憊の末に亡くなられたくらいですから、いかにとてつもない対立に発展していったかが分かろうというものです。

 この歴史的事件を「反軍」運動にその根拠として持ち出す方がおられ、いわば現在の「天皇陛下に戦争責任を擦りつける護憲9条」運動の拠り所のように語り継がれてきた面がありますが、本質を見抜かずに論じれば歴史に学ぶことは出来ません

 本件最大の問題は、帝国陸軍側(第4師団長の寺内寿一中将)が「皇軍の威信にかかわる重大事件なり」との声明を発し、大阪府警側(粟屋仙吉本部長)も「兵士が天皇陛下の赤子なら、警察官も銃後の国を守る陛下の赤子である」と回答したために大騒動化したことです。

 戸田巡査と中村一等兵のどちらが先に暴力を振るったのかが当時でさえ分からなくなっていた事件で、軍は天皇陛下の御名を持ち出して「衆人の面前で侮辱を加えられた」と主張するは、今日に於ける天皇陛下の政治利用の端緒かとも疑います。皆が陛下の赤子だと主張した粟屋府警本部長の回答のほうが、遥かに的を射ているのです。

 かくて軍は本件ののちに法を越えた存在となり、兵站を見極めずに大東亜戦争へと突入していくわけですが、そうせざるを得ない当時の世界情勢があったこと、大日本帝國が自立再生を懸けた戦いに挑まざるを得なかったこと、或いはそのために「國體」を含む利用できるものはすべて利用しなければならなかったことは別に論じるとしても、「上官の命令は陛下の命令」と言わずば戦争を維持できなかった先人たちの苦悩を正しく知らねば、これからも子々孫々に日本を残すことは出来ません。

 実際、本件は先帝陛下荒木貞夫陸相に「大阪でゴーストップ事件というのがあったが、どうなったのか」と御下問があり、急遽軍が内務省と話し合って事件を和解へと終息させています。のちに戸田巡査と中村一等兵も、互いを慰め合ったそうです。

 個人の存在と主張の正当化に天皇陛下の御名を利用することは二度とあってはなりません。これはむしろ保守派を自認する者こそ肝に銘じておかねばならない、と私は思います。そうでなければ「天皇制解体」を公然と口にする者と議論にもならないと覚悟しておく必要があるのです。それでどうして日本を守ることが出来ましょうか。大東亜戦争を全面的に肯定するあまり、肝心の國體を護持できないのであれば、先人たちの失敗は何も生かされません

 さて、ゴーストップ事件や昭和45年の日本万国博覧会(大阪万博)開幕直後に発生した天六ガス爆発事故などを目撃してきた天六阪急ビルが高層マンション(予定)に替わり、梅田阪急ビル(阪急百貨店うめだ本店)も建替えられ、かつての意匠を凝らした建造物が姿を消すのは寂しいものです。どうも最近の建物はどれもこれも面白くないではありませんか。

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 ▲在りし日の天六阪急ビル・梅田阪急ビルを記録して下っている方のブログです。

 天六阪急ビルは、新京阪時代に比べて建物正面が何の変哲もない構造に改装されていましたが、特に側面にかつての意匠を残し、背面には高架駅運用時代の構造を残していました。

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『ゴーストップ事件の現場』に2件のコメント

  1. ストリートマン:

    元大阪人・教わりましたね。祖父はこの話が出ると警察官が正しいと言つて居た記憶が有ります。

  2. あめんぼ:

    1.軍部と警察の小競り合いは、それ以前から、珍しいことではありませんでしたよね。そのたびに、お互いが“まぁまぁ”と言って丸く収めてきたところがありました。
    2.しかし、この事件は異様だったと思います。粟屋さんは終始、正論だったと思います。
    3.軍部は、強力なカードを2枚、切ってきました。
    (1)1枚目が“皇軍”というカードです。皇軍という言葉の説明が(ここでは)欠けていますね。満州事変以前は国軍と呼ばれ、国を守る軍隊だった訳ですから、当然、国民も守られるべき対象でした。ところが皇軍となると、天皇の軍隊ですから、ややもすると“天皇だけを守る軍隊”となり、そこに特権階級的な意識が一部将校の間に芽生えたのでしょうか。ただ、それに対する、粟屋さんの「軍隊が陛下の軍隊なら、警察も陛下の警察であります」という見解は、軍部のカードを見事に切り返しましたね。
    (2)1枚目のカードを切り返された軍部が2枚目に切ったカード、ここではコメントされていませんが、それは“統帥権”でしたね。たとえ休日であっても、軍人は24時間365日、統帥権の枠内にあるのだ、という見解を出しています。つまり、軍人に対しては警察権の執行を認めないということなのでしょう。実は、これこそが軍部の本音だったのではないでしょうか。
    (3)当時、警察というのは内務官僚の象徴でしたから、その警察を叩いておくというのは、軍部にとって重要なことだった、ということは読めてきますよね。この事件後、たとえ同じような“ささいな非違行為”を軍人が起こしたとしても、警察は手を出すことが出来なくなったと聞きます。そのとき、ふと、時代の大きな変化を感じることができたのではないでしょうか。
    換言すれば、この事件は“戦争前夜の、最も些細で最も重大な事件だった”といえるかもしれませんね。