人権委員会って何だろう?

皇紀2670年(平成22年)6月24日

 平成16年製作・公開の日本映画『笑の大学』(星護監督)は、三谷幸喜脚本による元はラジオドラマでした。舞台化もされましたが、本作は大東亜戦争へと突き進む昭和15年に、笑いを知らず「このご時世に低俗な喜劇など不謹慎」と主張する警視庁保安課検閲係(役所広司)と喜劇作家(稲垣吾郎)による劇用台本の検閲をめぐる攻防が描かれています。

 非常に印象的だったのは、次第に笑いの世界へと引き込まれていく検閲係が、作家の手元にも赤紙(戦地への召集令状)が届いたことを知り、彼の才能を心から認めた上で「生きて帰ってきて欲しい」と言ってしまう場面です。私はここで思わず(単純なのでしょうか?)涙ぐんでしまいました。

 このような検閲は、決して大日本帝國憲法によって行なわれたのではありません。むしろ、大日本帝國憲法第26条には「日本臣民は法律に定めたる場合を除く外信書の祕密を侵さるることなし」と、通信の自由や秘密がきちんと保障されていました。

 ところが、内務省(当時)は次々と検閲を可能にする法律を作っていったのです。そのうちの1つが治安維持法でした。

 国民の自由をうたったとされてきた日本国憲法の第21条にも「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」とありますが、これを制定した占領統治期のGHQこそが検閲をやりまくり、少しでも反米・反占領統治的な記述はただちに処分されています。民間検閲支隊なる6000人規模の機関が存在していたことも、特に文学評論家の江藤淳氏(『閉された言語空間?占領軍の検閲と戦後日本』文藝春秋刊)の研究資料によって明らかになっているのです。

 これでも占領憲法を放置しておく「護憲」、或いはこのような占領憲法の系譜によってしか日本を統治できないとだけ証明するような「改憲」が必要か、と疑問を呈さざるをえません。日本国憲法は、そもそも検閲の嵐の下で施行されたものであり、以下のようなことが起きるのを止めることもできないのです。

 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010062200360

 ▲時事通信:人権委員会、内閣府に設置=報道機関の取材規制せず?法相方針

 その運用の危険性が指摘されることから、決して国会で可決されない人権擁護法案について、故・中川昭一元財務・金融担当相は「人権擁護法案に反対している自分に対して『3日か1週間で政治生命を終わらせられる』と言っている人がいる」と語り、前述の治安維持法に喩えたことがよく知られています。

 旧日本社会党系の千葉景子法相の頭の中には、例えば北朝鮮に対する政治的批判を加えただけで「君、それ差別だよ」と私たちを弾圧し、沈黙させるの図がすでに浮かんでいるかもしれません。現下の法務省は、まさにかつての内務省です。

 そのくせ、仮にも中韓朝3国による「反日」運動で「日本人は殺されて当然」などと吐かれても(過去に何度も吐かれているが)、決して人権委員会の議事対象にもされないでしょう。また、利権団体である部落解放同盟の利権を守る悪の装置であるとの指摘もあります。

 これを止めるには、検閲の嵐の下で制定された占領憲法ではなく、大日本帝國憲法の精神に基づき、それが自前の憲法であるがゆえに戦前の間違いを決して繰り返さないという臣民一丸の明確な決意がなくてはなりません。極めて個人的な検閲係→人権委員の感覚で、あなたの表現行為が犯罪であると認定されてしまう恐怖を、民主党政権は私たちに与えようとしています。鳩山失脚内閣の残党・千葉法相を許してはならないのです。

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『人権委員会って何だろう?』に1件のコメント

  1. ストリートマン:

    日本人弾圧法案、逆スパイ法案、日本の政治家が言いだすのには驚きます。