もらって当然?生活保護費

皇紀2670年(平成22年)6月8日

 私の敬愛する小津安二郎監督が、大東亜戦争中のシンガポール赴任から祖国へ帰還した復帰第一作に『長屋紳士録』(昭和22年製作・公開)があります。ここでは戦後の復興が描かれ、戦災孤児のような少年を一人暮らしだったおたね(飯田蝶子)が育てることになったものの、のちに現れた実父に引き取られて、おたねは彼らの幸福を涙で祈るというものでした。

 しかし、平成21年11月29日記事「小津安二郎と日本人」でも書いたように、小津監督は決して戦災の傷跡を大写しし、その悲惨さを誇大に訴えるといったことはしていません。氏は一貫して「日本民族」を撮り続けたのです。その中で、本作以降の作品は「失われていくもの」を描き、私たちの心に「私たちの属する文化」を見せつけました。この流れは、伊丹十三監督によって受け継がれたと(東京大学元総長の蓮實重彦先生は否定するが)私は思っています。

 さて、本作が公開された昭和22年の5月3日に占領憲法は施行されましたが、昭和27年4月28日に国家主権を回復したはずが未だ占領憲法は放置されたままです。以来私たちは何を失ったでしょうか。

 http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100607/crm1006072110022-n1.htm

 ▲産經新聞:「もらって当然」 生活保護費詐取で逮捕、起訴の中国籍夫婦

 このような事件が起きてしまうのは、日本民族自身が「自立再生」を忘れてしまったからに他なりません。決して中共国内の人民による犯罪ではなく、彼らはわが国でこのようなことをしてしまったのです。

 暮らしが苦しい時、互いに助け合うのが「協和・共助」の社会であり、社会保障としての生活保護制度は必要だと思います。ところが、今日のわが国では「個人の権利」が神棚に祀られ、教育もこれに準拠し、あくまで自立を目指して周囲に感謝するという気持ちを涵養したりはしません。「政府の施しを『恥』と思え」とは決して言いませんが、民族協和・共助への感謝を忘れて自立のための努力もしないのなら、もはや誰もはたらかなくなるでしょう。

 このような精神性は、占領統治期を経た戦後、自立することをやめた占領憲法の放置によってむしろ涵養されたのです。そんな日本につけこむ外国人などいないと思うほうがどうかしています。

 私たちの納税によって運用される社会保障制度を外国人に悪用されて悔しいと感じた、或いは二度とこのような事件が発生しないようにしたいと感じたなら、まずわが国は自立しなければなりません。暮らしの諸問題と憲法の問題は絶対に無縁ではないのです。占領憲法の無効が社会福祉改善の第一歩であることは間違いありません。日本はもうこれ以上、何も失ってはいけないのです。

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『もらって当然?生活保護費』に1件のコメント

  1. ストリートマン:

    自立から一番遠い場所にいるのが民主党なのですが・・前政権の責任はどのように国民が見ているのか?あれだけの不祥事を犯した民主党の「閣僚」ばかりでしょう??