村山死去と共に出た福島瑞穂の罪
日本社会党元首相の村山富市氏が十七日、百一歳で死にました。団塊ジュニア世代にとって、これほど怨念を募らせてきた「元首相」はいません。
平成七年一月の阪神淡路大震災、同三月の地下鉄サリン事件に対する無策もさることながら、そもそも自民党政権下の旧大蔵省が引き金を引いた円高不況と好景気破壊(バブル経済崩壊)に何ら対処せず、社会党から首相を担いででも政権復帰を望んだ当時の自民党と共に、今日の致命的少子化を生んだのが村山政権でした。
壮絶な「受験戦争」に晒され続けた団塊ジュニアがほぼ大学卒業のころ、未曾有の不景気に堕ちたわが国の内需を回復する有効な経済政策を打っていれば、今ごろとっくに「団塊ジュニア・ジュニア世代」が誕生していたかもしれません。「これだけの人数がいるから勝手に人口は増えるだろう」と高を括った霞が関につき従った村山氏なんぞに、政治の何たるかを語る資格などなかったのです。
そのくせ「戦後五十年談話(村山談話)」なるものを発してわが国の立場をますます弱くしました。よって中共(支那)共産党は、村山氏の死去を速報し、自民党元幹事長の古賀誠氏が私たちの神経を逆撫でするような「哀悼」の言葉を綴り、まだ首相の椅子に座っている石破茂氏が「村山談話は引き継いでいる」などと寝とぼけた発言に及んだわけです。
今日の政府が引き継いでいるのは、最新の戦後七十年談話(安倍談話)であり、河野談話も村山談話も、まして「終わった人」の湿った話などもはや引き継がれても、引き継がれもしません。
どこまでも私たち国民を莫迦にしてきた左翼の寝言は、どうか永眠してからあの世でどうぞ。村山氏のように「悪い奴ほどよく眠る」とは申しますが、できるだけお早めに。
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その村山氏を「師」として利用し続けることで社民党を存続させてきた福島瑞穂氏について、奇しくも昨日、以下のような記事が配信されました。週刊新潮(新潮社)の記事ですが、これは目を通していただいて大丈夫です。
外国人犯罪(まず違法滞在など)を擁護しておきながら私たち日本人にはすぐに攻撃する福島氏のような北韓(北朝鮮)系左翼・極左は、それが冤罪、或いは嫌疑が極めて不確かであっても謝りもしなければ見下げ果てた言い訳を並べて虚勢さえ張ります。
福島氏の本当の師匠は、北韓系左翼・極左の共に民主党(文在寅・李在明両氏ら)ではないでしょうか。彼らの言う「人権」「平和」「平等」「自由」「権利」の何もかもが出鱈目なのです。
そうして国民的支持を失って凋落した左翼を前に、昨日記事で申したように「高市内閣」の発足がようやく見え始め、二十一日にずれ込んだ臨時国会の召集で首班指名されます。
どうやら私が十二日記事に「勝手に『小泉政権』のつもりで菅義偉氏が進めていた日本維新の会との連立交渉を、高市早苗総裁も進めざるをえなくなった」と早早に書いてはいけなかったらしいのですが、結果その通りになり、連立政権で埋没して党が滅ぶのを避けようと大阪府知事で維新共同代表の吉村洋文氏が国会議員定数の削減を絶対条件にしました。これを高市自民が呑んでしまったようです。
維新という政党は、これしか言えません。彼らは、これを「身を切る改革」と誇示しているのですが、ただでさえ左翼が騒いだ「一票の格差」により地方の選挙区割りが住民の意思を反映しないものにされてしまい、比例代表並立制をやめることで定数を削減する案も審議を要しますが、小選挙区制の弊害をそのままに「人気取り丸出しで実は問題の解決にならない」策を振り回されても困ります。
しかし、多くの国民がこれに賛成してしまうでしょう。そうして「自分たちの代表」とは言えない議員がポツンと選ばれていく弊害に、いつか気がついてくれればよいと思います。
案の定、橋下徹氏が自身のツイッター(X)アカウントで、高市総裁が靖國神社参拝を見送ったことに重ねて難癖をつけ、批判しない保守派を莫迦にしました。参拝したらしたで、必ず中共側に立って「空気を読めない」だの何だのと猛攻撃するくせに。
目下混迷を極めた連立交渉に追われ、予定通りには首相になれていない高市総裁が今、靖國参拝をしてしまえば、高市総裁がかねて主張してきた「靖國が政争の具にされてしまう」ではありませんか。例大祭こそが神社にとって重要ですが、参拝するのは今でなくても構いません。
何なら米国のドナルド・トランプ大統領が来日する機にお二人で参拝してはいかがか、というような話もあります。私たち国民の身を切らない政治のために、首相就任後に機を見てどうか参拝してください。




皇紀2685年(令和7年)10月18日 10:01 AM
躓いても蹴躓いても何しろ首相にならないと何にも始められないので今は我慢してましょう。あんな当てにならない玉木君の機嫌取る暇もないですし。トランプ大統領にもTruth Socialで御祝い頂いたし会いたいと思ってらっしゃるでしょうから。
阪神大震災の時、あの辺の人はテレビ観るどころでなかったので村山がどうしてたとか、もうホント長い間何にも知りませんでした。でもあの後でしょう。発災したら兎に角自衛隊出すとか色々手順決められたのは。道を歩いたら着の身着のままの人しか居ないし、色々片付いた後も外に出て歩いていても電車に乗っても、みんな地震被害の話で外に出るのさえ辛かったです。
皇紀2685年(令和7年)10月18日 10:29 AM
251018-2 高市政権船出迄の難航は、今の日本の政治を表象していて勉強ですね、
遠藤さん今日は ソロです。
村山の爺さんがやっとくたばったのは朗報ですが、此の人ほど其れまでの社会党の無能さを曝け出した党首はいなかったですね。 だから、彼の無能さを観て、「なんでこんな無能な人が首相なのか?」と、当時の自民党が責めを受け、すっかり自民党が悪者に成った。
肝心の村山氏には、批判派集まらなかったが世間の目は「どうせ『何しろ初めてなので・・』と誤魔化すだけだ」と、私もそう思っていました。 詰まり責任も取れない人物と言う評価でしたから、首相の評価等論外でしょう。 田から、「村山談話」等、無きに等しいですね。
その村山氏の背後団体は謂わずと知れた日教組ですし、オマケに奇人変人の多い大分県と来ているので、村山氏を観ても別段驚きませんでしたが、もっと、常識の在る人を立てないと、大分県民は奇異の目で見られる事に成ろうかと想いますね。
私は、山口の大島商船出ですが、全寮制の中でも「同じ九州人でも変わっている」と言う評価が半端、定着した感がありましたが、流石に政治家となると笑って済ませないものがありますが最近では岩屋外相がその典型でしょうね。あれだけ日本人を愚弄した外交をし乍ら、説明一つして居ないが責任は誰が取るのだろうか?
まぁ、石破首相以外で、彼を再び閣僚に起用する人は現れ無いと思いますがね。その石破は「二度と首相にしてはいけない人物」として、国民に確り認識されていますね。 蓋し正しい判断だと思います。
阪神大震災の時の村山氏の功績は、其れ迄燻り続けていた、社会党政権への奇妙な期待感が、実は完全に妄想だと言う事を実体化して見せた事かもしれません。 あの村山談話で、一時流行ったお高さんブ-ムも完全に鎮火しましたしね
そして、其の社会党を引き継いでいるのが、あの従軍慰安婦問題を創った福島瑞穂ですが、社会党の後継政党である、国民、立憲民主党にも入れて貰えず、一人党首の社民党で辛うじて国会議員です。
然し、土井たか子にしろ、福島瑞穂にしろ、北朝鮮系の共産主義者が日本で国会議員をやって居るなんて、この国は何か間違っています。 なんせB52を空母に積んでシナ・朝鮮を爆撃すると云う、科学的にトンデモレベルの事を言い出す、東大法科出身の弁護士なのです。勿論その陰にはDS が控えているのは明々白々でしょうね。 だから、右や左と騒いでも現実はDS が決めるのっですね。
皇紀2685年(令和7年)10月18日 8:48 PM
私立大学の三極化と、「大学には行きたい。でも勉強したくない」が高校生の大多数の時代
ダイヤモンド・教育ラボ
近年の高校生は、「大学には行きたい。でも勉強したくない」が大多数の現実(教育評論家 安田理氏)といわれています。できるだけ負担なく、早く大学に合格したい・させたいと
いう受験生・保護者のニーズと、2026年度入試以降は高校等の卒業見込者数が減少する環境下の中、一方大学側は(一部の大学を除き)、生き残りをかけて受験生に受験校として
選ばれやすくする工夫(科目数減や平易化、提出書類の簡素化、選抜基準の緩和、出願前のサービスの充実など)を進めるでしょう。このように受験生・保護者と大学の方向性は
一致しているのです(個人的には、これは決してwin-winの関係だとは思えません)。
(ここまで引用)
私は何度も書いた。「宗教的真理は、必ず人に喜びをもたらす」と。
日本の青少年が、そしてその両親の世代も 学ぶ事で得られる喜びを知らない とは、ああ。
これは日本の教育行政が、青少年を 真理から遠ざける「教育」に終始して来た その罪悪の当然の帰結である。前川喜平が文部事務次官に成り上がった 愚劣を極めた日本の教育行政。
私は悲憤慷慨、切歯扼腕。
次に、ずいぶん以前に書いた文章ですが、どうかお許しください。
「賢治と妹」
宮沢賢治の「永訣の朝」に初めて出会ったのは 高校1年の5月頃だった。
近・現代詩の授業終了のベルの直後、「参考資料として読んでおきなさい」と
先生が配布してくださったのだ。紙に目を落してすぐに 衝撃に身体が震える気がした。
言葉に揺さぶられて、私の中の 中心に在る何かが わなないたのだ。
そうやって 魂と呼ぶ他はない不可思議な物を経験するのは 希少な事。
私は30年以上経った今も、この出会いを与えてくださった先生に感謝している。
けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ と始まる 「永訣の朝」が書かれたのは
1922年11月27日、そして1923年8月11日に書かれた「噴火湾(ノクターン)」
( 長い詩なので 後半途中から記します )
駒ケ岳駒ケ岳
暗い金属の雲をかぶつて立つてゐる
そのまつくらな雲のなかに
とし子がかくされてゐるかもしれない
ああ何べん理智が教へても
私のさびしさはなほらない
わたくしの感じないちがつた空間に
いままでここにあつた現象がうつる
それはあんまりさびしいことだ
(そのさびしいものを死といふのだ)
たとへそのちがつたきらびやかな空間で
とし子がしづかにわらはうと
わたくしのかなしみにいぢけた感情は
どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ
妹の死から9ヶ月を経てなお、この悲痛な叫びは書かれたのだ。
今は亡き妹が 賢治という存在の中心を占めてしまった。
他の何物も入る余地は無い。あまりにも愛しい空しさ。
亡くなって 失って 分かち難く結ばれたのだ。堪え難い矛盾。
だが、賢治は堪え通した。
どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ と書いた時、
淋しさの極限を担う賢治と その賢治を淋しいままで受容してくれる何かが出会っているのだ。
それはこの世界の根底を支え 全ての存在を成就させる
決定的な しかしそれ自身は名を持たぬ ある不可思議な力である。
名を持たぬ事で 決して偶像になる事の無い神。
必要ならば、聖者の如き賢治からさえも法華経への信心を失わせて、ひとたびは砕けさせて、
更に高き完成へ導くやもしれぬ神。恐ろしい愛、堪え難い愛の神。目も眩む栄光。
しかし恐ろしい。私など、とどまる事も逃げる事も出来ぬ。
結ばれているものが 引き離されて しかし再び結ばれて 結ばれる事の全ったきに至る。
これはただ驚く他はない摂理のように思われる。神は奪う事で与え、空しくして満たす。
人はただ花が開くように自身を開くだけで良いのだ、喜ばしい恵みに向かって。
(ここまで過去の文章)
私は何度も書いた。「若者の最大の不幸は、心から尊敬できる大人に出会えない事だ」と。
私は老人の一人として 残念で 申し訳なく思う。