中国は「支那」か「中共」か
もはや現政権の外相ということになっている岩屋毅氏の屈中・無能ぶりが日常茶飯事になりつつありますが、参議院外交委員会で「お任せいただきたい」と答弁しながら「相手国の事情(中略)など、諸般の事情を総合的に勘案」とも答弁していますから、総合しますと「中共にお任せする」と答弁したことになります。
在外中共人が各国で対日ヘイトスピーチ(憎悪差別扇動=反日)を吐き散らし、そこに「チャイナマネー」が注がれていることは、周知の事実です。わが国政府が先回りしてでも叩き潰さないから蔓延し続けるのですが、現地情報を取る機関が公式に存在しない(大使館の書記官らだけではあまりに不足)せいでもあります。
■動画提言-遠藤健太郎公式チャンネル(YouTube)チャンネル登録お願いします!
最新動画【自民党も他人事やない】こんなアホな政治家初めて見たわ!イジェミョン驚きの選挙公約
そのため、私たち国民が「ヘイト」され放題になっているのです。南亜パキスタン(巴国)に駐在する中共・北京政府の張和清外交官が自身のSNSに、中国銀行(岡山市)を指して「(中共人観光客が)日本の地方銀行をわが国(中共)の『中國銀行』と勘違いしているようです。知名度に便乗している詐欺と誰も思わないのでしょうか?」などと投稿しました。
これも「ヘイト」の一種であり、中国銀行の存在を「詐欺」と断言した名誉棄損に当たります。わが国の中国地方にあるから中国銀行なのであり、張氏らの国籍は「中華人民共和国=中共」です。何の関係もありませんし、あっては困ります。
中共の「毒入り冷凍餃子」事件が起きた直後の平成十九年、岡山市に本社があった「中国食品工業」が風評被害を受け、倒産してしまいました。私は、この時の無念が忘れられず、中華人民共和国を「支那」とするか「中共」とするか明記方法に迷いましたが、まずわが国の国家三権と報道権力があれを「中国」と呼称するのをやめねばなりません。
東京都の石原慎太郎元知事が記者から「支那と言うのをやめたら?」と言われ、英語表記が「支那」に基づいて「チャイナ」になっていることを説明してそれを一蹴しました。「中共人が嫌がっていると思う」というのは、報道権力側の勝手な「配慮」であり、中共の者どもは、私たちに一ミリも配慮などせずことほど左様に名誉棄損を繰り返しています。
この勝手な配慮が中共の増長を招き、目下世界各国に迷惑をかけ、わが国、私たち国民が最も手酷い目に遭っているのです。岩屋氏が外相のままでは、その傷はますます悪化するしかありません。
英連邦豪州がマルコム・ターンブル氏を首相にしていたころ、北部準州のダーウィン港を中共に租借するよう認めてしまったことは、ここでも当時、徹底して非難しましたし、ターンブル氏の息子が中共産党員の女と結婚していることも含め、氏の屈中が豪自由党の支持率凋落を招きました。
ターンブル政権時の豪州がいかに危険だったかは、亜州太平洋の安全保障に大きな穴を生み、中共に「抗日で戦った最も長い同盟国だ」などと言ってしまう首相を前に、日米豪印戦略対話(クアッド)を提唱し調印させた安倍晋三首相(当時)を苛立たせたことからもわかります。
しかし、わが国は「租借」どころか中共資本にわが国土を買い荒らされています。これを阻止するには、現行憲法(占領憲法)が障害になっていることを高市早苗元経済安全保障担当相が指摘しました。
よく「相互主義」と言われますが、中共で不動産を取得できない中共人に、わが国土を買い漁られています。「歴史」を振りかざして私たち日本人を操ってきた中共に、配慮する必要などどこにもありません。
挙げ句には、わが国の企業(金融機関)名にまで難癖をつけることを思いつく外交官がいるような共産党独裁体制と国交を維持し続ける意味はないのです。
皇紀2685年(令和7年)5月29日 4:10 PM
25029―2 中華人民共和国の呼称については、台湾が「台湾」なのでシナで良いと思う
遠藤さんお早う御座います ソロです。
石原慎太郎氏のChaina の英語読みがシナだし、ラテン系かチノやチ-ノです。 オマケに昔、孫文がシナの漢字表記を「支那」としたと言う話も有ります。 逆に中国と言う呼称は、中華思想に元づく「世界の中央で栄える国」と言う、賛美を強制している名前ですから、例えば、日本の中国地方を「紛らわしいから止めろ」と言って来た事こそ無礼千万なのです。
何故なら、日本の「中国」は、神武東征と言うが、実は大陸の世情悪化で、国内を纏める要があり、水耕稲作の新技術や製塩法の伝授の為に16年も懸けたという徳を以て纏めた地、後に王朝を開く大和迄の「中っ国」の略省です。 この辺りが流石に歴史を勝手に創作するのが常道の国だけ有りますね。まぁ殆どが蒙昧な遊牧民だから仕方がないのでしょうが。
日本と古代シナの長江文明は元を糺せば、同じスンダ・ランドの住民だが、恐らく山岳三8院族と具労海産民族の違いはあったが、同じ浮稲から収穫される米を主食にして居た民族です。 この海人族のボス的存在の豊族の本貫地である山口県豊浦郡から、何と、4万2千年前の土器が多数出土して大きなニュ-スに成って居ました。
此の豊族の勢力範囲は九州一円と言って良く、例えば薩摩の隼人族や大隅の吾平(アビラ)族と盧親密な交流は、神武帝の母君の名が豊玉姫だし、九州の北~北東部は豊前・豊後の国です。此処で海人族と言うのは、長江文明を創った現在の雲南省からベトナムに棲む苗(ミャオ)族で、シナでの呼称は四蛮の裡の南蛮で、日本に来たのは東夷と呼ばれています
それと、関門海峡から豊後水道に至る海路筋に国東半島と言う所があるが、此処は、古代周王朝が春秋期に、戦乱から避難して来て上陸した島である姫島(周帝の姓は姫)があり、帝を祀った宇佐神宮がありますね。 然も、その向かいの半島は、周防(≒周を防ぐ)国ですから、豊の一族が周王朝と交易から密接な関係にあったと推測も出来ますね。
この推測は其れから役500年後のBC250~300年の秦の始皇帝の時代に、伝説として「東海の島国=日本には「不老長寿の果物が実る蓬莱山=富士山がある」と言う伝説がつたうぇ合っていて、始皇帝は調査の為に調査団を送り込んで居ますが、丁度その頃、日本は倭国大乱の真っ最中でした。
と、シナが本当に漢民族97.5%で、歴史を大事にする国だったら、こうした古代じゃラの故事を更に深く掘り下げて、氷河期の真っ最中の2万数千~4万年前に迄、歴史遡ることだってできるのに、やはり、戦争は殺し合いなので、優れたものが勝つのではなくより野蛮で銃声が高い方が勝つと考えた方が正解ですね。なので私もシナと呼ぶ事にしています。