怒れ国民!左翼権力のカスゴミが…
この記事は、神奈川新聞社の石橋学記者によるものですが、例えば外国人観光客が奈良公園(奈良市)の鹿を蹴っているなどの問題で、石橋氏が取材した模様をこちら(ショート動画)でご覧ください。地元の方がたが「(叩く行為の)度が過ぎてる」と答えているのに「しょうがないですよね」で片づけようとしています。
東京放送(TBS)系の「サンデー・フューネラル(日曜日、お葬式)」みたいな番組が石破茂氏を褒め称えたり、テレビ朝日系の「偏向ステーション」だったかの日本放送協会(NHK)から下野した者が自民党の高市早苗新総裁を徹頭徹尾莫迦にし、時事通信社による高市総裁の「支持率下げてやる」発言に至るまで、これがわが国の報道権力の正体です。
神奈川県川崎市長選挙の立候補者を、報道権力が勝手に「(他の候補者とは)異なる扱い」などとしてはいけません。それは、権力による私たち国民に対する暴力です。
国家四権(司法・行政・立法・報道)のいずれにも属さない個人のブログやSNSで、特定の個人を説明するのに「レイシストの」と記述するのは私たち国民の自由ですが、報道の記事でそのような記述を平然とすることこそレイシズム(差別主義)扇動にほかなりません。権力によるヘイトスピーチ(憎悪差別扇動)です。
特に選挙報道は、投票権を有する国民の自由と権利を守ることに留意しなければならず、石橋氏の記事は、とても真っ当な報道とは認められません。被差別部落問題を取り上げるなら、部落解放同盟が起こした数多の暴力事件(行政に対する不当圧力、不正行為など)について、それらを「迷惑だ」と感じてきた被差別部落出身者の声も取材した上で宮部龍彦候補の主張をまとめるのが適切でしょう。
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そこで、このような報道があります。皆様はどう感じますでしょうか。
先述した通り、国家四権のいずれかに属する者が個人のSNSアカウントで言ってよいことと悪いことがあります。あまりにも具体的記述だったがために、京都地方裁判所職員によるものとバレてしまったのでしょうが、これはいけませんでした。
ところが、何でしょうね、この妙な安堵感は。司法権力の極端な左傾化が顕在し、諸判決に著しい違和感と不公正・不公平感が蔓延し始めていた昨今、左翼・極左暴力活動家の「訴訟ビジネス」を「異様だ」と感じる真っ当な職員がいることに、司法の公正・公平を求める私たち国民は、どこか安心したわけです。
実際に左翼・極左が法廷で暴力行為に及ぶことは、噂を側聞するだけでも多多あり、ともすれば右派系市民団体が同じことをしてもこの職員は、例えば「ネトウヨ集団」と揶揄したかもしれません。私たちが権力に対して最も不公正・不公平を感じるのは、左翼・極左が批判された時だけ大騒ぎし、保守・右派が揶揄されてもまるで報道しないことです。
目下、権力という権力が高市総裁を寄って集って攻撃しています。高市総裁も所詮は立法権力の末端にいる方ですが、安倍晋三元首相以上に彼らが憎悪をむき出しにする理由は、彼らの中に「ようやく自民党の左傾化に成功した。もうあと一押しというところで高市なんぞに登場されては困る」という焦りからに違いありません。
高市総裁を通じ、自民党に入党する国民がわずか十日で約四千名にも及んだことが判明し、党内外の異常な左翼・極左の言動に危機感を覚え、いわゆる「高市自民」を応援しようという声が高まっています。
このことは、自民党の山田宏参議院議員も入党希望の声が急に殺到している事実を報告しており、これまでの「岸破森進次郎自民」に呆れて党を去った国民が元に戻るのは困難にしても、これが参政党躍進の理由とも受け取ることができるでしょう。
国民の声を聴かない権力は、中共(支那)や北韓(北朝鮮)なのであり、わが国左翼・極左権力の暴力を許さない!





皇紀2685年(令和7年)10月15日 12:33 PM
国民は高市に騙されないで欲しい。結局はジミン党のヒトなわけで。
1番の売国政策をしたのが安倍元首相ということもお忘れなく。
皇紀2685年(令和7年)10月15日 4:28 PM
その店の人と話してる石橋記者が持ってるバッグから見えていたタオルにハングル文字が書かれていて、朝鮮総連が配布してるタオルなんだそうです。あの卑劣卑小なバッググラウンドに居るのが丸分かりですね。奈良の鹿は道路を渡るにも人間達と一緒に信号待ちしてたり、ファーストフード店の入り口の自動ドアの所に座り込んで上からの冷房の風の下で涼んでるのですが、店の人が追い出すわけでもなく、店に入ろうとしてる人は鹿を跨いで入り小さな子は店の人が抱き上げて鹿を邪魔にする人は居ないし、雨降りの時は人間と共に雨宿りしてたり、地域の人が鹿を大切にして共生しています。奈良はガサツで横柄で乱暴で悪辣な民族が足を踏み入れる場所などではないです。イスラム移民と中国人が世界中でどれだけ忌み嫌われてるか、もっと日本人もあからさまになるべきです。最早遅し既に乗っ取られてしまったヨーロッパの国から日本はまだ間に合うと盛んに言われてます。人権だ〜なんて被害者ぶるのは彼らの邪な手管なんです。だから総理には高市さんがならねばなりません。
高市さんの所へ申し込んだ入党希望者は7000人越えたと言ってた人もいましたよ。青山繁晴さんの所にも山田宏さん、それから杉田さんの事務所にも高市さんが総裁になった後から、どんどん入党希望者が増えてるそうです。高市さんのお陰で支持者が自民党に戻って来てるんだから有り難く思うべきでしょう。公明党を切った事で支持者は却って増えると思いますね。ほんとに不甲斐なくて何度法案潰され悔しかったか。斎藤鉄夫って中国に飼われてるの隠しもしなくなってますね。一緒に日本乗っ取ろうとしてたのが潰されたからです。スパイそのものじゃないですか。
皇紀2685年(令和7年)10月15日 9:07 PM
記事出ましたね。
【速報】維新・吉村代表が自民・高市総裁と会談 「政策協議がまとまれば総理指名選挙で『高市氏』と書く」
維新に関心持った事ないし橋下は嫌い、橋下は多分高市さん嫌い。口出しに来ないか…とか色々思いますが、自民党があんなんだからこの際仕方ないのかな…どう思われます?参政党って3票しかないんでしたっけ。
皇紀2685年(令和7年)10月15日 9:42 PM
いつもありがとうございます。
以下は、二十年位前に書いたものですが、どうかお許しください。拝。
「 笑顔の恵み 」
もう2週間ほど前ですが、ゲンちゃんは、自転車で買い物に行きました。
その帰り、向こうから高齢の女性が、道の端を歩いて来ます。
ゲンちゃんは安全に通り過ぎようと、自転車の速度を緩めて彼女を注視しました。
すると、なんとなくその顔に見覚えが有るような気がして、
ゲンちゃんは擦れ違う少し前に、彼女に軽く会釈をしました。
とっさの事で、とりあえずの会釈。その瞬間、彼女と目が合いました。
すると彼女はたちまち、深い笑顔になって、会釈を返してくれました。
ゆっくりとはいえ、ゲンちゃんは自転車ですから、すぐに二人は擦れ違って、
10メートルくらい離れてしまいました。目の前の信号がちょうど青なので、
更に前進しながら、ゲンちゃんは自問していました。
「今の人、誰だったかなあ? 」自転車を止めて振り返ろうかとも思いましたが、
それももう遅い。そのまま帰宅。ゲンちゃんのとりあえずの会釈に、
あんなに深い笑顔を返してくれた彼女は、誰だったのか?
あの時から、記憶を辿っているのですが、今も、彼女がどこのどなたなのか、
ゲンちゃんとどんな関係の人なのか、どうしても思い出せません。
しかし不思議な事に、彼女の笑顔の深みに それを見た瞬間、
ゲンちゃんは受容されたように感じて、驚いたのです。
あらためて、笑顔は人を受容するものであり、
受容の力強い表現なのだと感じさせられました。
マスメディアに所属していないフリーのジャーナリストやカメラマンが、
アフリカの民族紛争の続く地域に行って、厳しい現実を自分自身の眼で見て
報道しようとする。その際、彼らが何よりも驚かされ、癒されると感じて
深い感銘を受けるのが、その過酷な状況の中に生きている子供達の、
素晴らしい笑顔であると、彼らは異口同音に語るのです。
その報告にゲンちゃんはこれまで何度も接して来たのですが、
ようやく実感できた気がしました。子供達は、強く確かに受容されていて、
それがそのまま、他者を受容する笑顔になって輝く。過酷な状況に優る恩恵の力。
では、その力は、何処から来るのか?
この事をゲンちゃんは ずうっと、いつも、考えて来ました。
恩恵は恩恵から、愛は愛から、来る。
他に拠らず、それ自身を源泉として来る。神。別の言葉で言うなら、
人にとって、人生というもの。
人といい、人生というと、同じ事を言い替えているだけだと、
読者さんは御思いでしょうか? しかしゲンちゃんにとっては違います。
人には人生が与えられている。人は自分を愛せない、しかしその人を、
人生が愛してくれている。人生が、その人を望んでくれている。
人生が、祈りとなって、その人に来てくれている。
このように、ゲンちゃんには思えるのです。
人が全く意識しない愛と望み、そして祈りが、
過酷な状況に置かれて生きる子供達の中に、何者も奪い得ない力となって生きている。
そして同じ事が、愛と望みと祈りを喪失したとしか思えない大人達の中にも、起きる。
笑顔を、新たに得る。ゲンちゃんが思いがけず受けた深い笑顔。恩恵の不思議。
ゲンちゃん自身が自分を愛するその愛は、弱くて曖昧であやふやで、
時々、愛してるんだか憎んでるんだか判らなくなるくらいに不確かです。
しかし母の愛は、ゲンちゃんを愛してくれた母の愛は、強く確かな愛だった。
自己放棄に転落しかねない哀しさと背中合わせの、狂おしい愛でしたけれど。
そして何よりも、ゲンちゃんをしっかりと抱いてしまう、拒めない確かな力でした。
拒めなかったのは、狂おしい愛でさえ愛として成就させる 真実の愛が在ったからだと
母に真実の愛が恩恵として来てくれていたからだと ゲンちゃんは思っています。
人は愛を受けて、愛を他者に分かつ者となる。ゲンちゃんは単純にそう信じています。
しかし、ゲンちゃんの母は、ゲンちゃんの祖母から
「お前は余計な子だ」と言われて育ちました。
その事でゲンちゃんは祖母を恨んではいないし、ゲンちゃんの母も、
悲しみながらも克服して生きてくれたと、ゲンちゃんは思っています。
母は、他者に分かつほどの愛を受ける事が無いまま生きて、それなのに、
ひたすらゲンちゃんを愛してくれました。
愛する事なんか出来なくても仕方無い、そんな運命の下に在る人が、愛の人になる。
その愛は恩恵なのだと、ゲンちゃんは母によって知らされたのでした。
愛を捨て 愛に捨てられて 人は狂う。
狂っているとは見えない人が、実は狂っている。
その事を愛は知っている。狂う人にも 狂わされた人にも、
再び そして何度でも、愛は向かう。
ゲンちゃんがほんのわずか ただ断片的に知っている事 経験した事からだけでも、
愛はあらゆる妨げを超えると信じられる。
この事は実はゲンちゃんなんかが言う必要も無い事です。
ゲンちゃんが知っている素晴らしい人達 特別ではない人達の中に、
愛は明かに働いているからです。そして愛の隠されている働きに、
ゲンちゃんはもっともっと気付きたいと思います。
笑顔を向けられる事は、笑顔によって見られるという事です。
寅さんの映画が たくさんの人に愛されたのは、
寅次郎の笑顔を見て、寅次郎の笑顔によって見られて、
たくさんの人が生きる勇気と喜びを回復し 新たに得たからなのでしょう。
前号のメルマガでも、人格と人格との出会いについて書かせて頂きましたが、
人と人が 互いに本当に見る事 本当に見られる事。
そこに 愛の始まりと完成の構図が 既に在るのです。