歴史歪曲の中韓は歴史を直視せよ

皇紀2685年(令和7年)8月16日

韓国大統領、日韓関係は「過去を直視し未来に進む知恵を」…日本統治からの解放記念日に演説

【読売新聞】 【ソウル=依田和彩】韓国の 李在明 ( イジェミョン ) 大統領は15日、ソウルで行われた日本統治からの解放記念日「光復節」の式典で演説した。日韓関係について「過去を直視し、未来に進む知恵を発揮しなければならない時だ」…

(讀賣新聞社オンライン)

 天皇陛下、皇后陛下の御臨席を賜る政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれた昨日、現政権の石破茂氏は、安倍晋三元首相が述べる必要を認めなかった「反省」の文言をわざわざ復活させました。

 天皇陛下の御言葉にある「先の大戦に於いて、かけがえのない命を失った数多くの人びととその遺族を思い、深い悲しみを新たに」するのが式典の主旨であり、その先人たちやご遺族に「反省」を求める、或いはそうまで言わなくとも「反省」を共有するような首相に、国民の生命と財産を守る責任が果たせましょうか。

 そもそもこの式典で「反省」や「教訓」を語った村山富市氏ら過去の首相があまりにも無責任だったのです。いかにして「戦争にならぬよう」または「売られた戦争には必ず勝つ」という重要な国防策の反省を述べる場ではありません。

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 一方、十四日記事で取り上げた北韓(北朝鮮)工作員の曺国氏に加え、尹美香氏の特別赦免(大統領恩赦)を決めてしまった同工作員の李在明氏(共に民主党)は、十四日に「(慰安婦問題と呼称する既にすべての嘘がバレた話は)完全には解決していない」と強調し、翌日には「(わが国政府に対して)過去の辛い歴史を直視」するよう求めるなど、対日ヘイトスピーチ(憎悪扇動)を全開にしました。

 だから李氏が「対日ヘイト(反日)を封印した」などというのは「全くの出鱈目だ(動画を参照)」と指摘してきたのです。

 ところが、わが国の報道権力は、石破氏を辞めさせないよう左翼・極左と連携して世論操作を始めたのとほぼ同じ目的で、李氏を「良質な韓国大統領」と印象づけるべく「日韓関係を未来志向で語った」ように一部分を大きく切り取り、且つ私たち国民に罪悪感を植えつけるのに適度な「注文があった」という程度に報じるところがほとんどでした。

「靖国信奉」と反発、中国 王毅外相、日本に歴史直視促す

 【北京共同】日本が終戦記念日とする15日、石破茂首相が靖国神社に玉串料を奉納し、閣僚や国会議員が参拝したことについて在日本中国大使館は談話を発表し「日本の指導者や政治家が靖国神社を信奉し、侵略の歴史への誤った態度を再び示した」と反発…

(一般社団法人共同通信社)

 そこで、李氏が頭を下げて「謝謝」を欠かさない「中共(支那)様」の反応もまた、一体どこの誰に向かって言っているのやら、むしろ大きく歴史を改竄した中共産党七月十五日記事の後段を参照)に「反省と総括」を求めます。

 また、国策に殉じた先人たちをまともに讃えたこともない中共産党の者どもに、靖國神社参拝をとやかく言われる筋合いも、一ミリたりともありません。私たち国民は堂堂と、私たちの日本を守った先人たちの御霊を招魂し、感謝の祈りを捧げるのです。

 参拝すらしない首相や「したこともないし、するつもりもない」閣僚(特に国賊村上誠一郎氏)こそ、私たち国民の生命と財産を何度でも奪って平然としている輩たち(ショート動画を参照)なのです。

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『歴史歪曲の中韓は歴史を直視せよ』に4件のコメント

  1. きよしこ:

    百歩譲って自身が戦争を体験しているならば「反省」の言葉が口を突いて出る気持ちも分からなくはありません。しかし、現在首相の座にあるらしい「醜く奇妙な生き物」は戦争を見たことも聞いたこともなければ被害に遭った方々を悼む気持ちすらありません。昨日は各報道機関の社説に対して「何様のつもりか」と糾弾しましたが、この醜男ほど身の程を弁えない人間は見たことがありません。それは中共や韓国にも言えることで、大東亜戦争当時に存在しなかった国の分際で「歴史を直視しろ」とは傲慢不遜以外の何物でもなく、「日中韓による対日ヘイトの大連携」という前代未聞の醜態が露見したのです。

    私自身も遠方に居住していますし、参拝という行為自体を政治利用されることを好みませんから、「国会議員なら靖国神社に参拝しろ」とは強く言いませんが、まるで鼻で笑うように「参拝したこともないし、これからもしない」などと言ってのける「やたら流暢に日本語を操る豚」なんぞ、ヒグマと間違えたことにして「駆除」し、そのまま中共に家畜もしくはパンダの餌として輸出してしまいなさい。何なら封も空けずに焼却炉にブチ込んでもらっても構いません。どうせ脂肪だらけで栄養なんぞ無いのですから。

  2. 波那:

    早速、欣喜雀躍、石破が中韓小躍りさせたとTotal News Worldに出てました。この男が華やかな外交を繰り広げ、国民に慕われ毎回選挙に大勝していたた安倍さんを憎悪し、泥を浴びさせ汚そうとしていたのは知っていました。中韓を歓喜させて、さぞかし大満足でしょう。

    石破茂、追悼式での「反省」発言が中韓に見事に利用される 複数メディアが「加害責任に言及」と嬉々として報道

    太報、观察者网、上观新闻、聯合ニュースなど、中韓の複数メディアが、石破茂が「反省」の言葉を使ったと一斉に報道した。

    8月15日、日本武道館で全国戦没者追悼式が行われ、天皇皇后、石破茂首相ら約4500人が参列した。石破首相は「絶対に再び誤った道を歩まない」とし、「戦争の反省と教訓を深く心に刻む」と発言した。これは2012年の野田佳彦以来13年ぶりに、日本の首相が終戦の日の式辞で「反省」に言及した例となる、と報道。

    中国メディアは、この発言を外交カードとして利用し、1994年の村山談話以来の経緯や、2013年以降の安倍・菅・岸田各政権で同語が消えた事実を対比させた。その上で、石破の「反省」は従来より踏み込み、アジア諸国への加害責任だけでなく、戦争勃発の経緯や戦後の文官統制の在り方まで含むと紹介。これにより、再び日本に謝罪や譲歩を迫る口実を与えた形となった。

    こうした報道は、日本の立場を守る視点ではなく、中国が長年行ってきた「歴史問題」を使った対日圧力戦術を後押しするものである。石破発言は、安倍政権が打ち出した「世代交代で謝罪の宿命から脱却」という戦略を否定し、むしろ過去の謝罪外交に逆戻りするメッセージとして利用されている。

    さらに、戦争体験者減少や記憶継承の課題を強調することで、将来にわたり「歴史カード」で日本を縛る布石が打たれている。今回の石破の馬鹿げた発言は、日本の外交カードを自ら手放し、相手国に優位性を与える結果となった。これは単なる一首相の所感では済まず、長期的に国益を損なった。

    それと、石破居眠り五連発の記事も出てましたが、万博開幕式で秋篠宮皇嗣殿下の隣でも爆睡したらしいです。何様のつもりで居るのだろうか?

  3. 日本を守りたい:

    【ククリット・プラモート タイ王国元首相の言葉】
    《日本というお母さんの決断》
    「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体­をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
    今日、東南アジアの諸国民が米­・英と対等に話しができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁を­なした日本というお母さんがあったためである。
    12月8日は、われわれにこの重大な思­想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。われわれはこ­の日を忘れてはいけない。」
    ( 1945年12月8日付、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )

    大東亜戦争は日本が圧倒的な白人の優位を覆し、東南アジア諸国に独立をもたら­したという面があることを日本人は誇りとすることができる。当時黄色人種の国家で
    列強­と肩を並べることができたのは日本ただ一国だった。マレーシア、シンガポールなどはイ­ギリスの植民地、ベトナムはフランスの植民地、フィリピンはアメリカの植民地、
    インド­ネシアはオランダの植民地だったのが、日本がこれらと戦いを交えたこと、日本占領時代に­教育などの普及などにより戦後独立に成功したは事実である。

    インド元大統領 ラグ・クリシュナン氏

    「インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどという事は想像も出来なかった。
    それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。
    驚きもしたが、この快挙によって『東洋人でもやれる』という気持ちが起きた。」

    インドネシア元首相 モハマッド・ナチール氏

    「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
    大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。
    本来なら私達インドネシア人が独立の為に戦うべき戦争だったと思います。
    もしあの時、私達に軍事力があれば私達が植民地主義者と戦ったでしょう。
    大東亜戦争とはそういう戦いだったのです。」

    インドネシア元情報宣伝相 ブン・トモ氏

    「我々アジアやアフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、すべて失敗した。
    インドネシアの場合は350年間も失敗が続いた。
    それなのに、日本軍がアメリカ・イギリス・オランダ・フランスを我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
    我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
    一度持った自信は決して崩壊しない。
    日本が敗れた時、 『これからの独立は自力で遂行しなければならない。自力でやれば50年はかかるだろう』 と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取る事が出来た。」

    イギリス歴史学者 H・G・ウェルズ氏

    「この大戦は植民地主義に終止符を打ち白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石を置いた。」

    イギリス歴史学者 アーノルド・J・トインビー氏

    「第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。
    その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
    日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、
    不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。イギリス最新鋭の戦艦2隻が日本により撃沈された事は、特別なセンセーションを巻き起こす出来事だった。
    それはまた、永続的な重要性を持つ出来事でもあった。
    なぜなら、1840年のアヘン戦争以来東アジアにおけるイギリスの力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
    1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではない事を決定的に示した。
    この啓示がアジアの志気に及ぼした恒久的影響は、1967年のベトナムに明らかである。」

    ビルマ元首相 バ・モウ氏

    「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、
    東条大将と大日本帝国政府であった。
    約50年前ビルマは三度に渡る対英戦争の結果、その独立を失った。
    イギリス側はアジアに対する侵略的野望を以ってこれらの戦争を遂行した。
    愛国者は挺身的精神を以って鎮圧する為、捕まったり殺されたりする事を恐れずに戦った。
    これら英雄達はビルマ生き残りをかけて戦うが遂には負けてしまった。
    ビルマ人は、アジアを一つにまとめアジアを救う指導者をずっと待ち望んでいたが、遂にその指導者なる大日本帝国がたち上がってくれた。
    ビルマ人が我が国に対する最大の貢献をしてくれた日本への感謝を永遠に忘れない事を希望する」

    韓国 朴 鉄柱氏
    「大東亜戦争で日本は敗れたと言うが、敗れたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
    彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
    『戦争に勝った負けたは、戦争目的を達成したかどうかにより決まる』とは、クラウゼビッツの戦争論である。
    日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
    日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ『聖なる戦争』であった。
    二百数十万人の戦死者は確かに帰って来ないが、しかし彼らは『英霊』として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

    インド ラダ・ビノード・パール判事

    「欧米諸国は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示する目的であったにちがいない。
    日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流れていくのを、私は平然と見過ごす訳にはゆかない。
    誤られた彼らの宣伝を払拭せよ。
    誤られた歴史は書き換えられなければならない。」

    フランス人ジャーナリスト ベルナール・ミロー氏

    「日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。
    彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命をとり出して見せつけてくれたのである。」

    アメリカ軍硫黄島司令官 スプルアンス氏

    「アメリカの青年たちよ。 東洋にはすばらしい国がある。それは日本だ。
    日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。
    ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない。 奮起しろ」

    フィリピン ディゾン画伯
    「今から35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。涙がとまらなかった。
    こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。
    同じアジア人としてこのような英雄がマバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを誇りに思っています。」

    アメリカ太平洋艦隊司令長官 ニミッツ元帥

    「この島(ぺリリュ―島)を訪れるもろもろの国の旅人達よ。
    故郷に帰ったら伝えてくれよ。
    この島を守るために日本軍人は全員玉砕して果てた。
    その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!」

    イギリスサッセックス大学教授 クリストファー・ソーン氏
    「日本は敗北したとはいえ、アジアにおける西欧帝国主義の終焉を早めた。」

    中華民国総統 蒋 介石氏

    「南京には大虐殺などありはしない。
    欽将軍も軍事報告の中で、ちゃんとそのことを記録しているはずです。
    私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。
    松井閣下は冤罪で処刑されたのです。」

    アメリカ黒人運動指導者 デュボイス氏

    「アメリカが日本人の権利を認めてさえいれば戦争は起こらなかったはずだ。」

    マレーシア首相 マハティール氏

    「日本の戦争責任を問うならば、それより以前の非人間的な支配と略奪をつづけた欧米の責任はどうなるのか。
    我々アジア諸国は日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた。」

    米国国際政治評論家 オーエン・ラティモア氏

    「日露戦争の勝利がアジア民族解放運動の出発点であり、終着点はまさしく大東亜戦争であった。」

    台湾実業家 許 文龍氏

    「戦前の日本の台湾統治に対し謝罪する必要などありません。
    台湾の基礎の殆どは日本統治時代に完成したものであり、日本人が来てまず治安が一挙に良くなり衛生状態も良くなった。
    守るべき法ができ、税金も清朝統治時代に比べてかなり良くなった。
    しかし残念な事に戦後の日本政府は、深い絆を持ちながら世界で一番の親日国家である台湾を見捨ててしまいました。
    謝罪すべきは台湾を統治してきた事ではなく、台湾を見捨てた戦後の日本外交なのです。」

    元マレーシア外務大臣 シャフィー氏

    「とくに私が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ。
    責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。
    『その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。
    日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。
    それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。
    諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか。
    日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。
    そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。』」

    いまだアメリカから与えられた憲法の許で、日米安保条約に依存し、自国の防衛はアメリカにまかせている。宗教も教育も干渉を受けている。
    東京裁判史観という歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や、考え方が少しも直っていない。日本人よ、日本に帰れ! とわたくしは言いたい(田中正明)

  4. 日本を守りたい:

    以下は、ウィキペディア「田中正明」より 引用。

    蔣介石の「南京大虐殺否定発言」→「南京事件論争」を参照
    1966年の台湾使節団としての蔣介石との面談の際、田中が1936年(昭和11年)に松井大将の秘書として蔣に一度会ったことを伝えると、蔣は「松井石根」という名を耳にした瞬間、
    顔色がさっと変わり、手を震わせ、目を真っ赤にして、涙ぐみながら「松井閣下には誠に申し訳ないことをしました」「南京に大虐殺などありはしない。ここにいる何応欽将軍も
    軍事報告の中でちゃんとそのことを記録してあるはずです。私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。松井閣下は冤罪で処刑されたのです」と言いながら、
    涙しつつ田中の手を二度三度握り締めたと、田中は2001年の講演で述べ[16]、また2003年出版した著書でもこのエピソードを紹介し[17]、田中は「あれほど支那を愛し、
    孫文の革命を助け、孫文の大アジア主義の思想を遵奉したばかりか、留学生当時から自分(蔣)を庇護し、面倒を見て下さった松井閣下に対して何ら酬いることも出来ず、
    ありもせぬ「南京虐殺」の冤罪で刑死せしめた。悔恨の情が、いちどに吹きあげたものと思われる」と述べた[18]。
    田中の門下生である深田匠は2004年の著書で同じエピソードを紹介し[4][19]、「この蔣介石の涙の謝罪は、日本人訪台団、通訳、蔣介石の側近らが全員耳にした歴然たる事実であり、
    南京大虐殺なるものは一切存在しなかったことを当事者が認めた貴重な証言である」と評している[4]。引用終わり。