報道の正確度70位では?
本日は端午の節句であり、わが国では古くから女性のための忌み(穢れ)払いの日です。世の女性たちには、奥座敷でゆっくり休んでいただくのがよろしいかと存じます。
そのことは、平成二十四年五月五日記事以来、毎年のように申してきました。ご参照ください。
さて、欧州各国が「リベラル最後の砦」と讃えた安倍晋三元首相を徹底して誹謗中傷し続けた「日本の自称リベラル」こと左翼や極左暴力集団と「連携しているようにしか見えない報道権力」のほとんどが、その自由度の低さを安倍政権のせいにしてきましたが、真の原因である記者クラブがある限り、ジャーナリストの取材・言論に於いて不自由がつきまとうのはやむをえません。
報道、言論や表現の自由を尊重しながら記者クラブはあるわ、放送倫理・番組向上機構(BPO)は作るわ、報道に携わる者たち自身が最もそれらの自由を妨げています。私たち国民の知ったことではありません。
むしろ私たち国民にしてみれば、わが国の「報道の自由度」ではなく「報道の正確度」が七十位、と言われたほうがしっくりくるものです。
最近では、四月十八日記事のように、自分たちの思い通りの「物語」に沿って記事を大きく捏造するのが報道権力であり、常習犯の朝日新聞社や中日新聞社・東京新聞のみならず讀賣新聞社でも発覚したのは、氷山の一角と申せましょう。
結局、記事の捏造を指示した大阪本社社会部主任が諭旨退職、捏造させられた岡山支局記者が職種転換と休職一カ月の懲戒処分を受けましたが、小林製薬の一件では、武漢ウイルス(新型コロナウイルス)狂乱から顕在化した医療・製薬利権の圧力が垣間見られます。
つまり、報道権力が「諸悪の根源」のように書き立てる個人または法人がそのまま問題の原因なのではなく、本当に「悪い奴」は違うところにいるのを示唆するのが報道権力の役割なのか、と疑うほどです。いや、常に疑ったほうが正確でしょう。
自分たちで報道の自由度を下げておいて「日本は自由度が低い」と、単なる一調査結果を嬉しそうにそのまま世界へ向けて喧伝するマッチポンプ(偽善的自作自演)にもうんざりさせられます。
憲法論議にしても、沖縄県八重山郡与那国町の糸数健一町長が述べたいわゆる「押しつけ憲法論」の細かい是非はともかく、沖縄タイムス社の該当記事についた「記者の余計な見解」を読めば、報道権力こそが法の原理、言論や思想の自由を大きく侵害することに全力で取り組んでいるようにしか見えません。
事実を追い、真実を伝えようとするよりも、このような発言の「うわべ」だけをすくい取って対日ヘイトスピーチ(憎悪差別扇動)を展開することにしか関心がない報道権力に、そもそも自由度を求めることが間違っています。そのようなものは「初めからない」と思わなければ、既に捏造された報道記事のさらなる誤読まで起きるのです。
良民、危うき(報道)に近寄らず。
皇紀2684年(令和6年)5月5日 8:33 PM
ある方が「報道しない自由度ランキングがあれば日本がダントツで1位ですね」と述べており、全くその通りだと感じました。生まれてから今に至るまで「日本の報道は萎縮している」などと思ったことは一度もありません。それどころか報道権力による犯罪とも呼べる横暴の数々を毎日のように見聞きするばかりです。そして「反アベ無罪」で右へ倣えの価値観で統一された報道機関に自由などあるわけもなく、BPOや記者クラブ制度を挙げるまでもなく歪んだ仕組みを放置し堅持している限り良識ある国民からは愛想を尽かされるだけです。例の読売新聞による小林製薬に対する「報道犯罪」もテレビや新聞では一切扱われていません。「報道しない自由」を満喫している報道機関が「G7で最下位だ~」などと騒ぎ立てるマッチポンプに煽動され続ける民度の低さが戦後占領体制の集大成といえそうです。