財務省「減税の原資ない」

皇紀2683年(令和5年)11月9日

 岸田文雄首相は、五日記事後段で申したようにわが国と違い、中共に正しい対応をしたフィリピン(比国)を訪問しましたが、その比国が欧州・伊国に続き「一帯一路(中共による侵略構想)」から離脱するようです。

 フェルディナンド・マルコス・ジュニア(ボンボン・マルコス)大統領の父親は、徹底した親米路線で中共とも(米中国交回復に連動して)関係を開きましたが、南支那海や東支那海で戦争の火種をバラ撒くようになった中共に用はありません。比政府としては、日米が支援してくれるだろうと計算しています。

 実際、岸田首相が比政府に政府安全保障能力強化支援(OSA)を初適用し、六億円相当の沿岸監視レーダーを供与するのですが、今にも中共に侵攻されそうなわが国の沿岸警備はどうなっているのでしょうか。

 しかも、そうした資金援助の「原資」はあるというのに……。

財務相、税収増は使用済み 首相の「還元」原資なし

鈴木俊一財務相は8日の衆院財務金融委員会で、岸田文雄首相が「減税で還元する」と説明してきた過去の税収増分は使用済みで「政策的経費や国債の償還に既に充てられてき…

(産經新聞社)

 私たち国民の経済活動を円滑にする目的では「原資」がない、というのです。これが財務省主計局の答えでした。

 またぞろ申しますが、霞が関の特定危険指定暴力団「財務組」系「主計会」と「主税会」によるすべて国民に対する激しい暴力が続いています。指定暴力団「厚生労働会」が主計会に呑み込まれて年金制度を改悪し続ける悪質な詐欺も、なぜか犯罪検挙の網をくぐり抜け、まかり通っているのです。

 私たち国民から「もはや強奪」した税収が「国債償還に消えた」などと嘘をつき、岸田首相の「ウソ減税」すらも認めない財務組の仁義なき暴力は、内閣支持率が三割を下回った岸田内閣を裏切ったと申せましょう。

 内閣総辞職が見えてきた、と。使い物にならなくなった政権は、言うことをよく聞いてくれていたとしても切って捨てる、というのが霞が関暴力団の常套です。

 だから財務省の言うことなど聞いても碌なことはありません。国債で予算を組むくせに「その予算がない」と財務省が言うのは、出鱈目にも程があります。

 これほどあからさまに私たち国民を騙し、その前に国会議員(立法)をも騙す財務省(行政)の所業は、完全に犯罪を構成しており、そろそろ検察(司法)の出番ではないか、と。いや、国民に詐欺をはたらいただけでは、叩いて埃を出そうとしないのが日米合同の権力構造です。

 暗然たる思いがしますが、私たち国民が指弾し続けることが重要で、あまりにも騒ぎが大きくなれば財務省の思い通りにいかなくなります。聞き分けよく諦めたように受け入れるから駄目なのです。現行憲法(占領憲法)を「憲法」とし続けているように……。

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『財務省「減税の原資ない」』に1件のコメント

  1. 日本を守りたい:

    父なるもの 超越の導き
    母なるもの 根底の支え

    これら二つのものは (人が本当に結ばれているものの本質として)恩恵であり、無償である。

    人が 自身の存在の 秘められている義を 感知する始まりは、
    導きと支えに 気づかせられた時である。

    生命を この世界と時間とを 与えられている事を 
    そして その意義を 目的を 成就せよと願われている事を
    導きと支えによって 信じられるように成る。
    信じるのではない。信じられるのである。
    「わが杯は溢れる」限りない受容と肯定を受けて 満たされてしまうのである。
    消え去る事の無い祝福を受けるのである。
    人の生命 存在は 偶然のもの 無意味なものでしかないと思われる虚無の闇が
    天から降り来った光によって切り裂かれる 光は必ず闇を切り裂く。
    それによって 新たな生命が誕生するのである。
    その喜びの経験こそは、結婚によってもたらされる宝である。
    男が 父なるものの働きを為し
    女が 母なるものの働きを為す。
    それは 人が 自身を新たに成す事である。
    与えられたに過ぎない生命を 真に 自分のものに成す事である。
    所有物ではなく、存在の目的に合致する事 到達する事である。
    真に 自己を得る事なのである。結婚による 人の 飛躍である。

    女が新しい生命を宿し 時満ちて誕生するその子は、
    祝福によって新たな者と成った彼女自身の、
    新しさの象徴となって彼女の許へ来るであろう。
    愛の恩恵の、尽きぬしるしとなるのである。
    人は、全世界が受けている愛を、
    ただ自分一人に向けられたもののように、受ける。
    愛を受ける事は、愛の源泉に浴する事だからである。
    ただ一つの愛が、一度だけで、永遠である。

    「同性婚」は、結婚の名に値しない。
    父と成る事 母と成る事 その幸いへの拒絶には、
    人生への 隠された憎悪 嫌悪がある。
    それは脱却すべき束縛と囚われなのである。

    人生に備えられている喜びは 深い。
    如何なる魔力にも優っている。
    そして 喜びへの感謝こそが
    清らかさへと 絶えず人をいざなってくれるのである。拝。