日本の魚を食べようでよき
書道を嗜みますと、必ず顔真卿らの書作品、或いは杜甫や李白といった漢詩人の作品に触れるのですが、例えば唐のころと現在の中共に、そもそも国家としての連続性はありません。中共は、たかだか建国七十年程度の新興国にすぎないのです。
しかし、そこに生まれ生きる人びとはどうか、ということを考えますと、或る書家曰く、本当に「優れた漢人は皆、共産党の文化大革命で殺された」のかもしれません。それほど現下中共人のあまりの愚かしさは、二度と目にしたくないことばかりです。
武漢ウイルス(新型コロナウイルス)を全世界にバラ撒いた湖北省武漢市では、漢服が何かも分からない公務員が人民にしつこく難癖をつけ、公然とわが国の着物を「ケシカラン」と言い、共産党の手によって法律までそのように改められるというのですから、もはや残念ながら優れた人物の系譜を失った国家なのではないかと思えてきます。
八月二十八日記事で申した中共による非科学的、且つ国際貿易の規律上不当な措置に対し、わが国政府がとるべき態度は、ならば「中共から人も物も一切受け入れない」の一点しかないのです。
昨日記事の後半で「水産物の国内流通にこそ政府が支援せよ」という政策提言は、ほぼそのまま櫻井よしこ女史らが提言した「日本の魚を食べて 中国に勝とう(原文ママ)」でもあるのですが、これに江川紹子女史が「国のために食べるわけではない」といちゃもんをつけました。
江川女史は、これ以前に八月二十九日記事で取り上げた飲食店の「中国人へ(原文ママ)」の看板を指して「新たな中国人排斥でしょう(原文ママ)」と揶揄していましたから、中共人の苛烈な嫌がらせを受け続ける飲食店主や、不当な措置に困惑させられた漁業関係者の心労などお構いなしなのでしょう。机上の空虚な妄言を連発しています。
確かに、櫻井女史らの「(中共に)勝とう」という文言には違和感を覚える方もいるでしょうが、中共がわが国を不当に攻撃し、打ち負かしにかかっているのです。中共人を私たち日本人が排斥しているのではなく、もうはっきりと中共内に「日本人お断り」などと書きなぐられています。
これにはさすがの北京政府も自制を促し始めたようですが、中共に駐在させられている日本人らを酷く困らせるこうした中共人の暴力に、なぜわが国のジャーナリズムは沈黙し、私たちが「魚を食べよう」と言っていることに難癖をつけずにはいられないのか、朝日新聞社や毎日新聞社をはじめとする報道権力も、明らかに私たち国民の哀しみに寄り添ってなどいません。
私たちの少ない稼ぎから、さらに不要なはずの重税と社会保険料等が課せられ、ほぼ何も残らないのですが、それでももうあと千円分だけ(単純計算から出た数字なので実際はもう少し買ったほうがよいが)わが国の近海で捕れたお魚を買って食べようではないか、と。そこに文句をつける点などありません。
台湾のパイナップルが中共の不当な措置に晒された時、わが国が大量に買い受けて中共の汚らわしい思惑を叩き潰しました。これも「中共に勝とう」だったと思いますが、いけなかったのでしょうか。いけないわけがありません。
こうしたいわゆる「チャイナ・リスク(中共産党の不当な措置で経済活動が突如停止させられる可能性)」を、全世界に知らしめる役割もわが国が担うべきです。今こそ言おうではありませんか。
皇紀2683年(令和5年)9月8日 6:26 PM
台湾産パイナップルを食べよう
台湾産マンゴーを食べよう
そして、積極的に
常磐物海の幸を食べよう
福島産野菜・果物を食べよう
そしてまず
福島ばかりでなく、他地域の国産のものを積極的に食べよう
一例をあげると、
グレープフルーツより、河内晩柑を。こちらのほうが優しい味で食べやすくおいしい。
そろそろシーズンオフだから、これからは国産ミカンを食べよう、リンゴも食べよう。
皇紀2683年(令和5年)9月8日 9:59 PM
たしかに「中国に勝とう」という表現はあまりにも大雑把ですし「中国共産党の嫌がらせに打ち勝とう」という文言が最適だったかとは思います。しかし、それに対して口を突いて出るのが「国のために食べている」云々かんぬんというのは、心の奥底で生まれ育った日本と国民を下に見ている証左です。
我々が古来より魚介類を食べるのは自らの物心両面における満足感と漁業関係者への感謝と、特に頭の付いた魚を食べる場合は命を頂くことへの感謝を示すことに他なりません。どこかのイカれたジャーナリストは「お国のために魚を食べる」などと荒唐無稽な珍説を展開しているようですが。日本を貶めるためならどんなイチャモンも厭わない左翼崩れの頭の悪さは底が知れません。