精神的支柱の揶揄も自由か
http://www.sankei.com/world/news/150108/wor150108……
▲産經新聞:【仏週刊紙襲撃】イスラム教風刺 、過激派掃討…報復か 欧米「テロ」警戒強化必至
仏国の週刊新聞シャルリー本社が襲撃され、犠牲者が出た事件は、欧州各国で驚きをもって報じられました。左翼系シャルリー・エブドは、風刺画の多い紙面が特徴です。
言論・表現の自由について、私の基本的な考えは、これまで何度も申してきましたように、その内容が私やあなたにとってたとえ不快なものであっても、国家権力によるあらゆる規制の類いを決して許してはなりません。
しかし、民族の精神的支柱や信仰といったものを、それが宗教であれ、いたずらに冒涜することまで「自由」の名の下に許されるのか、という別の問題が存在することも忘れてはなりません。
いえ、批判や問題点を指摘するのは例外なく自由です。但し、シャルリー・エブドらが掲載してきたのは、「イスラム国(ISIS)」のような過激派のみならず信仰の基軸に対する明白な揶揄ではなかったでしょうか。
すなわち、言論の「自由」では片づけられない別の、民族としての「自由」を傷つけたことへの報復があった可能性でしょう。
とすれば言論の自由に殺戮・破壊行為で対抗した時点で、犯人たちの敗北です。もう一つの大切な、存在する「自由」を根こそぎ奪ったのですから。
その上で、あらかじめ仕掛けられたかのような「イスラム批判」という無気力に陥る前に、欧州で最も多くのイスラム教徒を抱える仏国の人たちにお願いしたいのが、最初に申した問題提起に対する議論です。私たち日本国民も含め、集団で思考停止を起こすと必ず間違った結果を生みます。
仏革命しかり、意外と知られていませんが、独ナチス党撤退後にパリ市内で見られた「独国人将校たちに通じた女性たちへの集団陵辱行為」は、私が思う仏国民の愚行の一つです。
私が先日「人は道具ではない」と申した移民政策などの権力の所業が招く結果を含め、私たちは権力の介入に依存するのではなく、自らの「自由」について思考しておく必要があります。
これは、私たち一人一人がわが国を語る上でも大切なことなのです。