不穏なミャンマーとシリア

皇紀2675年(平成27年)11月10日

 http://www.sankei.com/world/news/151110/wor151110……
 ▲産經新聞:スー・チー氏率いる野党が第一党へ 政権交代に自信

 平成二十四年十月九日記事で私は、ミャンマー(緬国)の「政権の姿勢が変わり始めた背景には英国の関与が強く疑われますが、受け入れたテイン・セイン大統領がアウン・サン・スー・チー議員に取って代わられる可能性も出てきました」と申しています。

 緬国が中共の強い影響下から逃れたことは大いに歓迎しますが、スー・チー女史の「大統領より上になってやる」といった発言は、はっきり申し上げて「英米傀儡の新独裁者誕生」を意味しているに過ぎず、余計な期待は禁物です。

 何度でも申しますが、チュニジアの暴力革命がノーベル平和賞とは、人類の悪夢でしかありません。その後に起きたリビアの体制転覆もまた、英米主導で武器弾薬がばらまかれた結果であり、連合国(俗称=国際連合)安全保障理事会決議の範囲を超えた軍事介入に拒否権を行使しておけばよかったと最も後悔しているのが露国のウラジーミル・プーチン大統領(当時首相)でした。

 つまり、シリアのバッシャール・アル=アサド大統領を守ろうと、欧米と意見を異にしているプーチン大統領は、欧米に騙されたリビアの経験から慎重に国益を守ろうとしているのであり、嘘とカネと暴力で国家をもてあそぶ欧米諸国に何も言えないでいるわが国は、国際協調を前提としても情けない限りです。

 例えば「暴君スー・チー女王」が誕生してなお喜んでいられる緬国民など、ごく少数の利益共有者ぐらいのものでしょう。ほとんど多くの国民は、やはり「騙された」と思うに違いないのです。

 そして露国は、犯罪組織「ISISまたはISIL」を支援した容疑でサウジ・アラビアをも叩くかもしれません。シリアへのアプローチを間違えた米国は、黙ってプーチン大統領に任せればよいのです。

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『不穏なミャンマーとシリア』に1件のコメント

  1. 心配性:

    ミャンマーに進出した企業関係者らが、若干の不安を覚えているようですね。
    「新政権は経済を上手くやってくれるのだろうか?」といった“現場”の不安です。
    それから、「中国と距離を置く政策に変化が出るのではないか?」との懸念です。

    内戦前のシリアですが、事実として、「凶悪な独裁者に怯えるシリア国民・・」といったフレーズが似合わない程落ち着いて明るい感じの国でした。
    欧米からの観光客で賑わい、日本の歴史ファンからも熱い注目を浴びていた、経済発展目覚ましい国だったと思います。
    比較的高学歴で、海外に親戚がいるシリア国民も沢山いたいでしょう。

    元お医者さんだったアサドの本性は酷く残虐だったのかも知れませんが、「中東の北朝鮮」に例えられる程、閉鎖的で殺風景な国ではありませんでした。
    少なくとも、はるかに開放的ではありました。

    なぜ、樽爆弾が落とされ、反政府組織も一様に武器を手に取り、ISやヌスラが跋扈するという、「最悪」の状況が生まれたのかという事について、内戦が終結した暁には冷静に分析しなければなりません。
    バイアスを取っ払って。