岸田首相のまん防と省エネ
全く呆れた話です。世界が「どうでもよいこと」に気づき始めた武漢ウイルス(新型コロナウイルス)狂乱を蔓延防止等重点措置の延長でまだ続けようという岸田文雄首相は、さらに省電力消費(省エネ)を呼びかけて私たち国民を苦しめます。
延延と申し上げておりますが、もはや「ほしがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」の世界観(大東亜戦争下で民間が惹句として広めたもの)です。
ウクライナ国民も、いつまで露国の侵攻に耐えられるか分かりません。想定していた短期決戦に失敗したという話が出ていますが、恐らくウラジーミル・プーチン大統領はとことんやる気です。
その狙いは、米国と絡めて申したようにやはり液化天然瓦斯(LNG)利権の確保にもあるようで、だからこそ欧州最大のザポリーズィャ原子力発電所を占拠したのでしょう。
エネルゴアトム運営のザポリーズィャ原発は、露国型加圧水型原子炉(VVER-1000)が六基あり、露国はこれを破壊するつもりはありません。あくまで電力危機を創出したいのでしょう。
欧州各国が原発回帰を目指す中、大きな衝撃を与えましたが、ウクライナ侵攻が長引けば長引くほど資源価格のさらなる高騰を招きます。わが国も例外ではありません。
既にその影響は私たちの暮らしを直撃しており、光熱費の値上がりを避けられず、ますます給与下落のまま物価上昇(スタグフレーション)という最悪の経済状態を加速させています。
仮にもわが国の原発が確実に攻撃を受ける状況にあるなら話は別ですが、もはや原子炉の再稼働で対応するほかありません。私たち国民に武漢と露国の「二重苦」を押しつける前に、岸田首相が決断しなければならないことです。
むろん中共や北朝鮮がわが国の軽水炉型原発を狙う可能性はあり、かねがね申してきたように稼働し続けてよいものではありません。米国製軽水炉型をやめた上で、原発防衛は国家安全保障上重要な課題ですが、目下の緊急時対応として原発以外にないのです。
いわゆる「反原発」活動家たちの「ザポリーズィャやそもそもチョルノーブィリを見ろ」のわめき声が聞こえてきそうですが、その種の「議論に蓋をする」態度は褒められたものではありません。国民生活を救うためにやむをえないことを、原理主義を振りかざして国民に苦を強いるのは政治ではないのです。
皇紀2682年(令和4年)3月5日 12:59 PM
就任当初はコロナ対策がたまたま上手くいき、高支持率を演出した岸田総理ですが、日に日にメッキが剥がれていく感じですね。コロナ対策は5類への変更もなく、まん延防止の延長のみ、経済界と中国人向けの入国制限緩和、ウクライナ進攻問題でも後手後手、林外相とのタッグで二股外交を展開し外交音痴を露呈しています。
そこで今回の省エネのお願い。もう宏池会的なのか器が小さいのか、緊縮緊縮ばかりで将来ビジョンが出てこない。なんか主婦的発想。ここは英断で原子力発電の有効活用等でエネルギー問題を払拭させるくらいの男気を見せて欲しい!!
高市氏の方がよっぽど男気ありますわ。
皇紀2682年(令和4年)3月5日 1:32 PM
220305-3
ソロです。
>>原発再稼働問題と省エネ促進
省エネに関しては、然したる、異論はありませんが、原発野が開発に関しては逸早く安全性の高い原発を開発して、原子力発電を発電方式の主力にすべきで、就中、水素生成に原子炉の排熱が有効で、硫酸と()を発電時の900℃の排熱を利用して水素を大量に造り出す事に成功していますから、原発と水素製造のハイブリッドエナジーステーションの登場が期待されて居ます。
ここで重要なのは又もや防衛で、HEステーションを地中に建設して、発電は出力1~5万kwhに細切れにして、台数制御で地域の発電を賄う、燃料に核廃棄物のプルトニウムも使い廃棄物処理の必要をなくす原子炉の開発に傾注すべきです。 後々は核融合発電方式も目標とするが送電設備は継続使用出来る様に考案する。
電力マネジメントは、勿論、火力・水力・原子力と、多様な方式のミックス様式で行うが、安定した発電力が期待できない上に、設備寿命が短い、廃棄物処理を含む保守経費のコストが高い、加えて自然破壊の頻度が大きいので、再生可能エネは採用しないのが良いでしょう。
原発反対派の声は無視して良いのは、彼らの殆どがシナや韓国の老朽化原発の継続運転に一切反対せず、海流、気流の向きから言って不安定な運用をしている2国に対する抗議運動子青
皇紀2682年(令和4年)3月5日 2:00 PM
(続きです)
海流、気流の向きから言って不安定な運用をしている2国に対する抗議運動こそ必要なのに、其処を敢えてしている極めて政治的な意図があるものだからで、相手にする方が間違ってるのです。
技術は日進月歩、スチーム・タービンだって圧力計が発明されて、居無かった時はボイラーに爆発事故で多くの死人を出しています。進歩に失敗はつきものです。
其処を如何に失敗という経験知を危険の回避に活かすかに、懸っていて、逆に、失敗にない試みには進歩も無いといえるのです。