LGBT配慮?トイレ問題

皇紀2681年(令和3年)10月10日

 どなたかY田不動産(大阪市北区茶屋町)について、何か面白い話をご存知の方おられます?

 社長は、在大阪某国名誉領事です。自社ビルに名誉領事館を構えていますが、ご存知のように名誉領事は、企業経営者でもなれるただの名誉職で、しかしながら一介の中小不動産屋がなりたがったのには、必ず訳があります。

 しかもカンボジアですからね。ちょっと「態度の悪い」案件を抱えていまして、まぁこちらはもう弁護士を立てているのですが、臭う話をお待ちしています。
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 さて、表題の件。北海道や沖縄県と並ぶわが国屈指の赤い兵庫県の暴力市長でお馴染み赤い市(明石市)で、公園に設置する公衆トイレの外装に関する市民投票なんぞという「暇か?」と聞きたくなるような税金の無駄遣いが行われた結果、圧倒的多数の意見を反故にして、男女の色分けをしないことに決めたそうです。

 わずか二票だったと聞いていますが、そこには「男性トイレを青色、女性トイレを赤色と固定するのは、性的少数者に対する配慮がない」とあったようで、明石市はこの致命的少数意見に従うというのです。

 これは、明らかに民主主義に反する行為であり、行政権力が市民投票の結果を無視するなど決して許されません。

 性的少数者とは、同性愛、全性愛、性同一性障害や性不特定などの人びとのことですが、彼らが生まれもった性とは違う生き方を選択するのも、男性が桃色を好もうと女性が紺色を好もうと、それは個人の自由です。

 行政権力が個人の自由の範疇にまで首を突っ込むのは、極めて危険な行為だとここで何度も申してきましたが、民意を反映する行政のあり方を拒否するのも非常に危険です。

 その民意が明治維新以降の西欧宗教原理の輸入で、古来よりわが国では大らかに認められてきた同性愛(衆道をたしなむ)などが非難の対象にされ始めたのを、「日本を取り戻す」ことで再び互いを指差し合わない人権先進国に戻そうともここで何度も申してきました。

 それこそが宗教国家で同性愛者を処刑してきた西欧と、祭祀の国でそのような蛮行の歴史を持たないわが国との、或いは西欧保守主義と日本保守主義との大きな違いなのです。

 ところが、西欧型権利闘争を輸入したわが国の活動家は、実は明治維新の間違った一部分を繰り返しています。現代に至って自分たちを苦しめる過ちを、自分たちでまたもしでかしていることに全く気づいていません。

 そのような誤った権利闘争が多くの人びとを困惑させ、かえって性的少数者への誤解と偏見を広げています。

 色の好みなど個人の自由であり、そのことと社会基盤整備に於ける必要な標識や記号の設置は、まるで無関係です。

 はっきり申し上げて公衆トイレの色分けは、男女が互いに嫌なことをしない、そうならないために決めたものであり、分かりにくく使いにくい公共施設は、公共のものとして不十分です。

 赤い市がわざわざこのような市民投票を実施したのは、恐らく最初から珍妙なポリティカル・コレクトネス(綺麗事莫迦)の登場を期待してのことに違いありません。

 多くの人びとの暮らしを混乱させる行政の改悪を許してはならず、また性的少数者への偏見を助長する権利闘争を放置してはいけないのです。

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『LGBT配慮?トイレ問題』に1件のコメント

  1. きよしこ:

    そもそも公共の場におけるトイレは(多くの批判を恐れずに言えば)全て男性も女性もLGBTも障碍者も支障なく利用できる多目的トイレにしてしまえばよいのです。色分け云々以前の問題としてトイレを発生場所とした犯罪(盗撮や連れ込みや暴行など)が多すぎます。特に女性から反発を招きそうですが人の出入りが他社からも見えやすい場所に設置すれば犯罪だけではなくトイレの中で体調不良を起こした場合でも、速やかに対処できます。「安全・安心」を謳うならばむしろそれが当然だと思うのですが皆さまはどうお考えでしょうか?

    そのうえであえて男女の色分けに言及しますが、別に男が青でも赤でも女が青でも緑でも構いませんが、色分けをしないことで視覚的に区別がつきにくく極めて不便になることが想像できなかったのでしょうか?そんな馬鹿げたことをしたければ明石市庁舎の中で試験的に導入してみろという話です。私が市民なら「こんなこと住めるか」と言って即刻市街に転居します。地元の方々には申し訳ないですが、この調子なら近い将来「アカし市」だの「バカし市」だの言われて嘲笑の的となることは避けられませんね。頭の壊れた市長を選ぶからこうなるのです。