実は失敗した日米首脳会談
菅義偉首相と米民主党のジョー・バイデン大統領の初対面は、嫌な予感が的中したものに終わりました。両首脳初の会談前に行なわれてきた事務レヴェルのすり合わせで、実のところ全く噛み合わなかったと聞いていたからです。
まず共同記者会見場によろよろと二人の老人が現れたさまは、近年稀に見るほど「映えない」もので、両首脳が国際政治に与えるインパクトなどほぼないことを、もはやこの時点で思い知らされるわけですが、確かに安全保障問題で二人の口から「台湾」が出たものの、肝心の「中共」についてはまるで具体的に語られませんでした。
それは、事前のすり合わせで日米両国が何ら合意できなかったからです。わが国は現行憲法(占領憲法)を前提としてしまう十二日記事で申したような及び腰だからであり、米民主党は一月二十六日記事で申した通り「面倒な役割を日韓に割り振る腹づもり」ですから、合意できるはずがありません。
よって菅首相は、何だかんだいいながら中共に対して融和的な言葉を並べました。この及び腰こそが中共に尊大な態度をとらせる元凶なのです。中共側が日米共同声明を批判したのも、さだめし予定調和のものだったに違いありません。大して喫緊の焦りを感じさせるものではありませんでした。
菅首相が夏季五輪東京大会(東京五輪)についてロイター通信社記者の質問を「スルーした」と話題に上がったのも、そもそも米報道権力の関心が国内で連日のように起きる銃乱射事件にあり、ロイター記者を含む冒頭三人の記者の質問はそれに終始したため、取ってつけたように尋ねられたわが国の首相への質問部分に、バイデン大統領の答弁の後で菅首相が言葉をつけ加えることをしなかったためです。
その後、わが国の報道権力から東京五輪に関する質問があって菅首相は答えていますので、別段この問題への答弁を避けていたとは申せません。
ということは、わが国で報じられているような日米首脳会談の成功も幻であれば、菅首相が東京五輪問題に答えなかったというのも幻です。会談終了後に伝えられていること、或いは一部の私たち国民から賞賛や非難の声が上がっていることは、どれも的外れということになります。
米国内の報道権力の事情(機会希少な大統領の言葉を聞くために外交の場でも平気で国内問題について質問する)はどうでもよいとして、占領憲法を前提としてしまう日米安全保障条約の片務性と、米民主党政権の性質として同盟国に役割を丸投げする癖に戦争をしたがることが、今回のような日米首脳会談の失敗を招くのです。
このような政党を「リベラル」と有難がるわが国の報道権力には、記者の質問能力以外に致命的な甘さがあり、まんまと騙され続けます。それはそのまま私たち国民が「米国に騙される」ことに繋がってきました。
そうしているうちに中共がのさばってきたのです。いつも「米国が何とかしてくれる」では駄目です。自分たちで何とかしなければなりません。その上で米国や英連邦豪州、印国といった協力国を募り、連携していかなければならないのです。
米国の戦争に「待った」をかけられない占領憲法について「護憲」などといっている連中の出鱈目を指摘せずして、都度都度の日米首脳会談を論評することはできません。せめて私たち国民がこのことに気づき、立法権力(国会)にはたらきかけていかねばならないのです。