日韓合意、外相の態度の源

皇紀2676年(平成28年)5月5日

 本日は、子供の日(端午の節句)です。公式には、子供を「こども」とひらがな表記するようですが、現在でもグレゴリオ暦の五月五日以外に旧暦(例えば六月五日)で子供の元気な成長を祈る儀式をする地方があるといいます。

 端午の起源は、楚の国にあり、決して朝鮮半島にはありません。また、現在の中華人民共和国は、楚以来の歴史的継続性が一切ない新興の共産党国家です。

 わが国では、もともとあった「五月忌み(さつきいみ)」という田植え前の穢れ払いの儀式と楚起源の端午が結びつき、現在の形になったと言われていますが、そもそも五月忌みは「女天下」という、女性を戸内に守って特に家の中を取り仕切ってもらう女性のための節句でした。

 これが日本の文化であり、女性を家に「閉じ込める」ことが「女性差別」だなんてとんでもないのです。今なお家にいたいもよし、今や外に出たいもよし。さまざまな家族の形があるのを前提とすればするほど、一方に決めつけるのは政治思想的偏向と指弾せずにはいられません。

 それを「一億総活躍」と称して(働きたい人を別にして)何が何でも女性を戸外に出し、一方で「少子化対策」と称して何度も出産させようというのは、あまりにも女性をないがしろにしてはいまいかという視点があってもよいはずではないでしょうか。

 日本の全ての子供たちが健やかに育ちますように。

 http://www.sankei.com/life/news/160430/lif160430……
 ▲産經新聞:【杉田水脈のなでしこリポート(3)】慰安婦問題に関する岸田外相の不可解な説明には首を傾げざるを得ません

 杉田水脈前衆議院議員のご活躍については、改めるまでもないでしょうが、岸田文雄外相の説明が中途半端に留まるのは、日本国憲法(占領憲法)の枠を超えてはならないからです。

 わが国の立場を明確にすることで仮に外交上の喧嘩になることは、占領憲法の概念に違反するのですが、そのまま放置すれば結果として「一方的に日本がボロボロにされる」か「外交で解決しないので戦争になる」かのどちらかになります。よって、政府は前者の道を選択し続けてきました。

 こうなりますと、余計に保守層を中心に「日韓合意を破棄せよ」となりますが、それをやった国は、徹底的に国際的非難を浴びることになります。

 その可能性は目下、韓国のほうが高く、朴槿恵政権を脅かす野党各党は既に合意破棄を公言しており、私の得た情報では既に米政府が対韓非難の用意をしています。これこそ私が昨年十二月二十八日配信動画で申した合意後展望なのです。

 しかるにわが国は、合意の遵守(不可逆的解決)を言い続けながら三月十四日配信動画で申した課題をこなさなければ合意の意味がありません。報道各社のせいで広められた合意内容の誤解を何としても解かなければならないのです。

 にもかかわらず、外務省内で頑張っている人(例えば杉田さんの話に出てきた総合外交政策局女性参画推進室長=当時松川るい室長→自民党から出馬予定)ともともと頑張らない人との些末なやり取りが仇となり、省としてはやはり占領憲法の呪縛から逃れられません。

 国民のためにすべき公務を公務員にさせない憲法のどこが素晴らしいのか、よく考えてください。

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『日韓合意、外相の態度の源』に3件のコメント

  1. きよしこ:

    「一億総活躍」の是非はともかくとして、今まで仕事一筋だった女性が結婚や出産を機に家庭に収まることも立派な「社会進出」であるとの論調がどこからも出てこないのが不思議でなりません。いつから日本に「社会進出=カネを稼ぐ」という図式が作り上げられたのでしょうか?政府の掲げる「とにかくたくさん稼いでたくさん子供を産め」という方針はもとより、家事や子育ての尊さやそれに伴う苦労をないがしろにしながらただ不毛な政府批判や「日本死ね」に共感するだのしないだのというメディアや評論家の偽善・ダブルスタンダードにはウンザリします。待機児童の問題だってずっと前から存在していた問題をたかが匿名のブログを元にこれまた政府批判のために「活用」しているのですから目も当てられません。そうして振り回されるのはいつも子供だというのに。

  2. 心配性:

    >それを「一億総活躍」と称して(働きたい人を別にして)何が何でも女性を戸外に出し、一方で「少子化対策」と称して何度も出産させようというのは、あまりにも女性をないがしろにしてはいまいかという視点があってもよいはずではないでしょうか。

    保育園や外国人家政婦さんを増やせば子供の数が増えるとはとても思えないですね。
    香港などでは珍しくなくても、外国人家政婦さんに子供をまかせて夜中まで働いたとして、少子化対策にはつながらないでしょう。
    要するに子育てする「余裕」が無いのが問題なんです。
    思い切って労働時間を大胆なまでに短くするとか、子育てに関する手当を何倍も厚くするとか、ある程度の規模以上の会社内に保育園を設ける事を義務付けるとか、更には、子育てと並行して行われる老人介護をどうするかとか、課題は山積です。

    日本は女性の地位に関するランキングが異常に低い(不当なまでに低い)ので、日本政府はその得体の知れないランキングを上げようと頑張っているのかも知れませんが、「数字」(上っ面)よりも「中身」ではないでしょうか?
    そもそも「幸福の形」というのは欧米人に数字ではじき出してもらうものでもなくて、各家庭により千差万別です。
    子どもが神経質で体も弱い為、3歳ぐらいまでは自分の手で育てたいという人もいるでしょうし、家族みんなで夕飯の食卓を囲みたい人もいるでしょう。

  3. やす:

    本来女性と男性にはそれぞれ役割があるはずです
    個人的な考えになりますが、女性は育てることが役割 男性は導くことが役割だと思います
    育てるとは子供だけではなく、夫となる男性に対しても同じであり、育てるということをせずにどんどん女性の社会進出が進めば男性がどんどん劣化していき、本来正しい方向へ導く役割を担うはずの男性が劣化すれば社会が間違った方向へ進むのは当たり前です
    それが戦後の日本だったのではないでしょうか
    今一度そうした役割を見直して男女のバランスを取ることが、社会全体をよくすることに繋がると私は考えます