中共弱腰、ミャンマー強気

皇紀2675年(平成27年)4月12日

 http://www.sankei.com/world/news/150402/wor150402……
 ▲産經新聞:ミャンマー、中国雲南省での誤爆認め謝罪

 三月十五日記事で取り上げたミャンマー(緬国)東北部シャン州での緬国軍とコーカン族武装勢力との戦闘で、国軍機が十三日に投下したとされる爆弾が中共雲南省臨滄市側に着弾し、住民十三人が死傷した事件。

 私は確かな情報として、華人(漢民族)系のコーカン族の戦闘には中共共産党人民解放軍の元兵士や現役兵士までもが傭兵として参加していると申しました。また、緬政府がそのことを知っているとも申しました。

 さらに中共外交部の対応が穏便なのも異様と指摘し、中共共産党が亜州全域で仕掛ける「屈中国製造工作」の存在に言及しましたが、緬政府はどこまでも強気の対応を貫いたのです。

 ならば「四月二日にワナ・マウン・ルウィン外相が王毅外交部長にお詫びしたのはおかしい」とお思いになるかもしれません。ところが違うのです。

 まずはじめに「戦闘機の飛行記録を開示してでも中共北京政府の対緬批判をかわす構え」だったことに始まり、緬国軍が三月二十六日、コーカン地区の制圧宣言を出し、コーカン族が降伏したのを確認したからこそ、今頃になって「やっぱりうちの誤爆でしたわ」と言ってのけました。

 これほど屈辱的な対応をされてもなお、中共はわが国や越比(ヴェト・ナムとフィリピン)に対する態度とはまるで違う穏便さを保っています。

 なぜなら緬国の資源がどうしても欲しいのと、そのために行使してきた影響力を(アウンサン・スー・チー女史らを使った)英国の力にはねのけられたこと、工作が主として英国にばれたくないこと、それらが亜インフラ投資銀行(AIIB)設立に水を差されないようにすること、よって英国がAIIBに諸手を上げて参加することになった、というようなことがすべて関連しているのです。

 緬政府は最初からそうと分かっていたからこそ、しらを切ってでも中共に強硬な態度を崩しませんでした。わが国がなぜ中共に高圧的な態度をとられ続けるのか、少しは緬国の例を頭に入れておくべきです。

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