皇国に原爆が落とされた日

皇紀2671年(平成23年)8月6日

 昭和20年8月6日午前8時15分、米軍が廣島市に原子爆弾を投下したのは、人類が初めて大量(非戦闘員約20万人)虐殺を目的として核兵器を使用したことを意味します。

 私は毎年この日に様々なことを書き記してきましたし、3年ほど前には広島市で「核の議論(必ずしも核武装の議論ではない)」の提起を目的とした当日の活動を考えたこともありましたが、或る被爆された方が「あの日に反核運動をやる左翼がやかましい」と心情を吐露されたのを伺って、「ああ、やはりそうだったのか」と思うのと同時に、せめて8月6日と9日は静かにしようと決めました。

 しかし、静かに先人たちを想うことと、何も考えないようにすることは全く違います。私たちは、今も米露中朝の核兵器に四方を取り囲まれたまま、自国の力では何も対策を講じていません。

 日本国憲法(占領憲法)を放置する限り、わが国は「米国の核の傘」とやらの下にいるという幻想を抱かされ続け、反核を言う資格もありませんが、左翼の皆様はそれでも「護憲」なのでしょうか? 自主憲法(大日本帝國憲法)を取り戻さない限り、核武装以前に自立防衛すらかないませんが、右翼の皆様はそれでもあくまで「占領憲法の改正」であり日米安全保障条約を遵守することのほうが大切なのでしょうか?

 わが皇国に米軍が原爆を投下してから66年目の本日、亡くなられた先人たちを想う時、二度とあの災禍を繰り返さないよう、思想の左右に固執して考えることなどありません。二度と空き巣に遭わないよう人がすることは、大抵そのための防御であり、これが生きる本能であり、しかしながら私たちはあの犠牲を重く受け止める顔をしつつ頭の中では軽んじて何もしてきませんでした。

 仮にも節電を言うのならテレビを消そうと私は申しましたが、本日皆様には、つまらない放送番組を見ない代わりに、被爆したわが国が原爆を扱った映画と、戦争終結のためという大義名分を吐いて開き直る米国が原爆を扱った映画を、是非見比べていただきたいのです。

 日教組の製作計画(関川秀雄監督の『ひろしま』)とは決別して作られた新藤兼人監督の『原爆の子』や、先日亡くなられた田中好子さんの名演が光る今村昌平監督の『黒い雨』をご鑑賞後、例えば被爆を主題にした作品の製作を目下止められているジェームズ・キャメロン監督の『トゥルー・ライズ』や、トム・クランシー原作の『トータル・フィアーズ』に於ける核爆発の場面をご覧下さい。製作国の米国では、いかに原爆の真の恐怖が伝えられなかったがよく分かります。

 これが世界の現実です。広島の想いなど届いていません。大東亜戦争敗北と同時に「価値観がひっくり返った」などと言って、大本営発表の嘘からGHQ発表の嘘に騙され代わっただけの私たちが皇国の覚悟を捨てた時から、被爆された方々のあまりに尊い犠牲は無になると決まったようなものだったのです。

 本日は静かに祈ります。そして、私が思い描いてきた「核の議論」の提起は、わが国の防衛に皆様の強い関心が寄せられるその時々に街へ出てしてまいります。

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