新聞記者の精神状態が危険
http://mainichi.jp/select/opinion/maki/news/20110531dde012070055000c.html
▲毎日新聞:牧太郎の大きな声では言えないが… 非国民ではないけれど
まずは、毎日新聞社の牧太郎編集委員がお書きになった先月最後の日付けの上記社説をお読み下さい。
「また毎日か」「また朝日か」と言えば簡単に片づくでしょうが、今や産經新聞社や讀賣新聞社とてこのような社説を配信しかねないように私は感じています。
実は概ね新聞記者としては正しい問題意識を論じていると思うのですが、いかんせん一般に読ませるような内容になっていません。この社説は完全に「内輪の独り言」なのです。そもそも「大きな声では言えない」ものを新聞に載せてはいけません。
わが民族の「辛抱」「我慢」を美化しすぎることにより、被災された方々を今夏まで避難所に押し込んでおくような、または消費税増税もやむなしという財務省主導の策謀に加担し、原子力発電ありきの電力行政(米国製)の手のうちでしか動かない菅内閣の所業を見過ごしてはなりませんから、何点かに於いて牧委員のご指摘はもっともです。
しかし、そのことと皆が力を合わせて「頑張れ!日本」「たちあがれ!日本」と言うことを「全体主義」として「個人を全体の目標に総動員する」と定義し、大東亜戦争下の状況とだぶらせようとした点に無理があります(ひょっとすると、これら掛け声から連想する田母神俊雄元航空幕僚長や平沼赳夫衆議院議員のことが単に嫌いなのでしょうが)。
私たちは、頼りない政府から何も言われていません。互いに「頑張らないと村八分にする」などと騙し合ってもいません。だからこそ「何でも自粛」に異論が唱えられることもありました。
牧委員の論調で言えば、あたかも私たちが救援物資や義援金を贈ったことまで「全体主義」の顛末にされてしまうのです。
このような極端な考え方がわが民族の危険なところであり、ゆえに思考よりも行動の結果を感傷的に批評した結果、「教育勅語」も同じような論調の末に教育現場から消されてしまいました。確かなことは、教育勅語が戦争勃発や敗戦の原因ではないということです。
何もそこにない「全体主義」とやらよりも、新聞記者の精神状態のほうがよほど危険に思えてなりません。
皇紀2671年(平成23年)6月5日 9:54 PM
M社から弊社の種子を日本の畑に撒けという命令があったようですが、6月21日頃までに結論をださないといけないそうです。TPPと同様に問題です。この問題は日本農業の安全を崩壊しかねないと考える不味い事態なのかもしれません。