生肉食中毒:本能の退化

皇紀2671年(平成23年)5月9日

 http://mainichi.jp/select/today/news/m20110509k0000m040079000c.html
 ▲毎日新聞:生肉食中毒 患者104人に

 まず、病原性大腸菌「O111」による食中毒患者の皆様にお見舞いを申し上げますと同時に、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 残念ながら激安焼肉店「焼肉酒家えびす」の生肉料理を食べた方から死者が出てしまったことを前提としながらも、私を含む全ての日本民族が自戒しなければならないことを敢えて提言します。

 そもそも昔から、子供とお年寄りは生肉食を控えるよう言われてきました。現に、大阪府は以前からそのように注意喚起しています。

 実は生魚や生卵による食中毒のほうがきつく、毎年平均50名未満とは言え「卵かけご飯」でも死者は出ていますが、一方でわが民族はこれらに対する耐性も高いそうです。すなわちこれが大切なところですが、免疫力が鍛えられている、と。

 しかし、明治以降の牛肉食文化しか持たないわが国(主として江戸時代に滋養食として一部で重宝されていた非一般的認識は除く)では、私たちの生肉食に対する耐性は低いと言われています。

 それがここ十数年のことでしょうか、いわゆる「韓食流行現象」なのか、急激に生肉料理を口にする機会を増やし、それでも概して生食が許される食肉と調理法を要するものは、高級焼肉店の「お高い料理」でした。

 ところが、激安焼肉店で出されていたのは1皿280円であり、資本主義という賭博経済が生み出した泡沫(バブル)経済の崩壊後、物価と給与下落の悪循環(デフレ・スパイラル)にあえぐわが国の民は、優れた物づくり観念と共に食に対する嗅覚をもなくしてしまったのです。

 思えば中共産の「毒入り冷凍餃子」事件も、極めて安価でありながら安全な食べ物が手に入るよう企み始めた私たちの、あまりにもいい加減な理性で「食べること」を判断してきたことが仇になった結果だったかもしれません。

 私の親しい某大学の医学部教授が、今回の事件について語った第一声は「日本人の本能が退化し始めている」でした。苦しい経済状態が長らく続いていることと決して無関係ではない、とも指摘しています。

 また、厚生労働省の基準を云々する報道もありますが、取り扱い業者への罰則規定に関する議論はともかく、私たちは法律で定められなければ食べてもよいのか悪いのか分からなくなっていることをまず恥じるべきなのです。

 食品に打ち込まれた「消費期限」と「賞味期限」についても同じことは言えますが、役所や企業に示されなければ食べることも出来ない、或いは自分で食品の腐敗を確かめられない人たちが数字にのみ頼ってそれを廃棄しているような現状をこそ、今すぐ改めねばなりません。

 「安物買いの銭失い」どころか、生命を絶たれた人が出てしまった今回の事件をもって、まだなお厚労省や企業にだけ責任を押しつけて自らを「哀れな国民」「騙された消費者」に置き換えるのではなく(ただし、実際の被害者は別の議論を要する)、食べることは生きることですから、本能とは何かについて真剣にお考え下さい。

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『生肉食中毒:本能の退化』に1件のコメント

  1. 心神:

    今回の事に限らずですが、平和ボケ民族となった今日と関係あるのかも知れませんね?