核の議論をしないのと同じ

皇紀2671年(平成23年)3月31日

 昨日記事で、実は日本政府に有用な災害対策マニュアルが今もって存在していないという或る識者による暴露を書きましたが、これに対して「国家安全保障を考えてはいけない」というわが国の現状について指摘するコメントを頂戴しました。

 全くその通りであり、うさんくさい改憲国防論を発してきた自民党こそが、延々たる政権与党の座にいながら、災害大国・日本に於ける国民の安全の守り方を考えてこなかったのです。

 民主党とは、そのような元自民党議員と、そもそも国防を論じてはならないという思考停止を恥じる様子もなかった左翼活動家によって構成された政党にほかなりません。

 またぞろ申しますが、どんな莫迦が首相になっても国民を守れるように、国家安全保障の叩き台は平時より考えておく必要があります。その議論をしてこなかった、或いは避けてきたのは、まさに「核の議論(本来はわが国を取り囲む核保有国の脅威から国民を守るための議論)」という言葉からすらも逃げてきたのに同じなのです。

 人間の生命を守り、次へと繋いでゆくこと(皇室祭祀)は、政治的な思想でも何でもありません。必要なのは、独裁政治を産みやすい民主主義などに頼らない、人間の行動原理の分析に基づく方法論と手引き・導きであり、今すぐ皆の叡智を結集して作ろうではありませんか。

 実は下記の会で私は、厚生労働省が国内に於ける病毒(ウイルス)感染の爆発的流行(パンデミック)を想定したマニュアルの策定に入ったという内部情報についてお話ししています(ただし、要約公開のため該当動画はありません)。

 或る医師が厚労官僚の想定に対して「もし医師の全員が感染、死亡した場合は?」と問うたところ、答えられませんでした。官僚にのみ任せていると、その程度のマニュアルしか作れないということです。このままでは、今回のような大震災にも政府は永遠に対応出来ないことになります。

 逃げてはいけません。考えることをやめてはいけません。国民の生命を守るために、国家安全保障を体系的に思考する時がきているのです。無効に出来る占領憲法で、どうして国民が守れるのですか? 決して逃げてはいけないのです。

目先の利益しか見ない政官民が国をダメにする
日本はまだまだ捨てたもんじゃない!

 先月13日、神戸市の「ピフレホール」で開催された「第2回 日本よ、たちあがれ!決起集会」(主催=真正保守政策研究所)の模様2連発です。今回ご紹介の2本で最終回になります。

 http://www.youtube.com/watch?v=KTpE7xZKxRc
 ▲YOUTUBE:目先の利益しか見ない政官民が国をダメにする 石原修三

 http://www.youtube.com/watch?v=S0UpCk_qUJ8
 ▲YOUTUBE:日本はまだまだ捨てたもんじゃない! しらくに高太郎

 全て「国」任せで自分は何もしようとしない……これが「欧米型民主主義」を有り難がってきたわが国の現実です。そして、政治家は議員バッヂをつけた途端、社会実態を把握するべく学ぼうとも、人の話を聞こうともしないのでは、お話になりません。

 たちあがれ日本の推薦で兵庫県議会に再び名乗りを上げられる石原修三前議員の「亡国」に歯止めをかけようとする想い、神戸市議会たちあがれ日本議員団の白國高太郎議員の謙虚な姿勢には頭が下がります。

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