青少年健全育成条例の改正
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010121602000023.html
▲東京新聞:性描写漫画、販売規制成立 『慎重運用を』付帯決議
東京都議会は15日、過激な性描写のある漫画やアニメの販売を規制する東京都青少年健全育成条例改正案を賛成多数で可決しました。
自身が小説家として数多の性描写に取り組んできた石原慎太郎都知事に対する「漫画やアニメへの偏見」を指摘し、反対する声は多く、漫画家たちや漫画出版社が抗議しています。インターネット上でも概ね反対の声が多いと聞きました。
子供の頃はともかく私はもう漫画を読まず、小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』でさえ、言論誌『Will』でたまに拝読する程度であり、噂に聞く『マンガ嫌韓流』も手に取ったことすらないので、ともすればこの問題を語る資格はないかもしれません。
また、私の率直な感想は皆様に受け入れられないかもしれませんが、はっきり申しますと、これが大人の方便だよね、と。成人向け雑誌や成人向け映画・映像を、まさしく「大人向け」とし、販売に一定の規制がかけられていることが子供たちにとって「思い知る現実」だと思うのです。「駄目だ」という現実があって実はこっそり見ようとする、或いは見ている、と。だからこそ「駄目だ」という方便はそれなりに意味があると思います。
反対した日本共産党らは「行政の暴走」と主張していたようですが、仮にも(菅内閣お得意の全共闘用語ではなく、社会学用語としての)暴力装置である国家権力が表現そのものを規制し、一切の販売を禁止してしまう改正案なら、その通りだったとも言えるでしょう。しかし、可決された都の改正案は、大人が購読するしないの選択は変わらず自由であり、販売を禁止してはいません。
むしろ私が危惧しているのは、この議論が「漫画やアニメだけなのはおかしい」「ほかも全て規制しろ」に発展し、いつの間にやら表現そのものが規制対象となり、まるで人権擁護法案、または人権侵害救済法案の危険性と同じ様相を呈し始めることです。
映画・映像や漫画だけが規制対象になることへの不満は、例えば寺島しのぶさんの妖艶なお芝居を単なる成人向け映像作品と同列に語るような無知・無理解に接した時の脱力感に似ているかもしれません。かつて大島渚監督が、昭和51年公開の日仏合作映画『愛のコリーダ』の書籍発刊を巡って猥褻物頒布罪で起訴された当時も、大いに議論になったと思います。
視聴の規制がないという点では、インターネットだけではなくテレビやラジオも同じでしょうが、最近のテレビ番組がつまらなくなったのは、妙な自主規制を敷いていることに原因があり、これまた例えばケーシー高峰さん独特の猥談を放送する根性も覚悟もなく面白い娯楽番組など作れるわけがない、と。
昭和の頃を振り返れば、多少の猥褻表現があっても子供の横で大人が「駄目よ」と「方便で叱る」ものでしたが、今は個人主権化で家族が崩壊しかかっており、そうしますと行政が方便で叱ってあげなくてはならなくなり、今回の改正案可決、そして今後も何かと法や条例でいろいろなことを明記せざるを得なくなっていく、と考えることも出来るでしょう。
今後もこの改正に反対し続ける方がおられるのなら、まず家族の基礎である皇室と祖先祭祀の解体を目論む革命主義の危険性を提示するのが先です。日本共産党らは改正案に反対しながら、実はこの改正案を作らせた日本社会の産みの親のようなものではありませんか。
皇紀2670年(平成22年)12月16日 11:10 AM
「言論の自由」は大人の方便でしょう。大人には大人の常識が有る、子供のころもエロ本・エロ雑誌は有りましたが「限度」を大人が考えていた。遊郭も消えた今、難しいのは判るが政治家が危惧を感じるのは「常識」だと思う。
皇紀2670年(平成22年)12月16日 2:03 PM
規制はしょうがない面もあります。一昔前よりまんがより過激になってるかんじはします。ただ漫画だけで良いのかと言うところもあります。規制は悪だと言いますがまったく規制しないより規制があったほうが面白いものが出来る場合があります。むしろ行政に規制されるより自主規制しているほうがおかしな方向に行きそうです。公で決めるほうが安全なのでは。なぜ出版業界がそれほど反発するのか分からないです。
皇紀2670年(平成22年)12月16日 4:06 PM
インドネシアでポルノ規制が行われてから、電光石火の勢いで「中国人差別禁止法」が成立したそうですね。その後の、インドネシアをはじめとする東南アジア諸国における、中国人の“猛威”はご覧の通りです。 ポルノが規制されてからは、作品の会話や仕草など、細かな「表現」にまで規制がかかるようになったと記憶しています。ひとたび「人権」を振りかざして法律ができてしまうと、なし崩し的に、自称被差別団体や自称被差別民族団体の利権維持のための法律がバンバンできてしまう恐れがあります。こういう雪崩現象が一番恐いのです。
皇紀2670年(平成22年)12月17日 12:35 AM
法制審部会の親権2年停止を可能とする要綱案が気がかりです。親権停止中に必要な治療を受けさせると称して児童が洗脳や薬漬けにされないか非常に不安です
皇紀2670年(平成22年)12月17日 4:35 AM
うん!あなたに語る資格はないwあなたには二次元の魅力と二次元に生きる者の気持ちがわかってない右翼の石原は本を読んでいいものと悪いものに分けるな、ヌード写真は隠さないと得意の教育論を披露したはず石原も土屋も遠藤もウソつきだ!
皇紀2670年(平成22年)12月17日 10:02 AM
>日本共産党らは改正案に反対しながら、実はこの改正案を作らせた日本社会の産みの親のようなものではありませんか。ここ、大いに賛同します。一部のオタク界隈では「男の娘・BL(ボーイズラブ)・ロリ・ショタ」なるものが流行しています(検索してみてください)お色気とか、エロというものを遥かに通り越した変態性欲の異常者が大手を振って秋葉原界隈を闊歩しております。ルソー主義の嫡流思想と勘繰りたくなるほどです。ああいった過激な表現物が世の中に存在することを表明した上で、本条例改正の反対運動を行わないと、有名どころの漫画家が出てきて表現の自由を憂うのはフェアじゃない気がします。真正保守を標榜されている方々のブログも何箇所か見て回りましたがどうやら沈黙を保たれているようです。安易に反対と言えないのが正直なところではないでしょうか。失礼しました。
皇紀2670年(平成22年)12月17日 10:15 AM
石原慎太郎都知事がかつて披露された持論は、活字の本についてであり、いわゆるヌード写真というのは、例えば洋書の芸術作品にある裸婦像を指しています。 記事中に、二次元の魅力を否定した個所は決してなかった筈です。ただ「二次元に生きる者の気持ち」とおっしゃる意味がよく分からず、是非ともご教授願えればと思います。 他人を指して、よく調べも読みもせず「ウソつき」と断罪なさるのはいかがなものでしょうか。漫画やアニメーションへの偏見は許されませんが、私を「偏見持ち」と決めつける偏見もいただけません。私は大学勤務時代にアニメーション専攻の学生を補助したことが何度もあり、それらに対する偏見で今回の問題を語るわけがないのです。何卒ご理解下さい。 ちなみに、大阪芸術大学映像学科は、『王立宇宙軍?オネアミスの翼』の山賀博之監督や、『エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督ら多くのアニメーターを輩出しています。
皇紀2670年(平成22年)12月17日 4:23 PM
始めまして抽象論で恐縮いたします。管理人様が危惧する、子供への悪影響、理解申し上げます。しかし、私はどうも法律と倫理をごちゃ混ぜしているが故に、このエントリーの脆さを覚えます。まず条例(法律)は、出来るだけ明確に規定できなければ、解釈が横行し、最悪、法曹界や、それを従える組織の思う壺になります。弁護士の山口貴士様が詳しく、その問題点を挙げています。また、この手の規制を施したとして、性犯罪が減るのかどうかの統計がありません。というより、世界的に視れば、規制が強いところは、むしろ犯罪率が高いというデータを見たことがあります。単純に日本と韓国を見比べても、その傾向があります。
皇紀2670年(平成22年)12月17日 4:24 PM
続き一方、倫理に関しては、あくまで大げさに且つ極端な想定で論じれば、厳密な規定は困難で、それこそ、住んでいる地域によっても、その解釈は違っていき、普遍的ではありません。昨今の、貞操感の乱れは、恐らく倫理的なものとして論じるべきであり、法律として規定するのは無理があり且つ、悪用されやすい。かりに、むかしの倫理観が善しとして、それが、今となっては修正すべきだとなれば、現状を鑑みれば、地域社会が希薄になり、またそれを補完する形で入り込んだテレビなどのマスコミに言及するべきと思います。そして、大変無礼なことを申し上げますが、この条例に関して、どのような組織が要求し、可決によってどのように得をするのか、もっと言及してほしかった。そのくらいの内容は期待されると思います。
皇紀2670年(平成22年)12月18日 8:37 AM
無礼だなんてとんでもありません。Sura様のご指摘は膝を打ってわが意を得たりというところです。 この改正議論自体が法律と倫理をごちゃ混ぜにしていると私も感じたからこそ、「今後も何かと法や条例でいろいろなことを明記せざるを得なくなっていく」という考えをどうしても付記しました。ゆえに今回のことは「大人の方便だよね」と。 山口貴士弁護士の危惧についても既に拝読していますが、この改正要請が例えば「ECPAT/ストップ子ども買春の会」(以前に「みんなの党」から立候補する後藤啓二弁護士について論じた時に取り上げた組織)から出て、まさに後藤氏のような人物が草案づくりに加担していたことは明白ですが、実際には運用も含めて彼らの過激な主張通りにはいきませんでした。だから特筆しなかったのですが、やはり書いたほうがよろしかったでしょうかね。反省します。