占領憲法に抗した清水澄
本当は25日にご紹介したかったものです。昭和22年9月25日は、わが国最後の枢密院議長で憲法学者・行政法学者だった清水澄(しみずとおる)博士が、日本国憲法施行後、大日本帝國憲法に殉じて熱海の錦ヶ浦海岸から投身自決を遂げられた日でした。
東京帝國大学教授だった平泉澄(ひらいずみきよし)博士も、占領憲法に改正の価値はないとし、大日本帝國憲法の復原を主張した歴史学者でしたが、このような先人たちの想い、その壮絶な叫びに、現世の私たちはまったく応えていないのではないでしょうか。
血のにじむような想いで守ってきた領土、そして外国との不平等の解消。これを菅内閣は一気に台無しにしてしまいました。
野党には、当然今回関わった人間全員の証人喚問を実現してもらうよう、はたらきかけましょう。自民党の「与党ボケ」を許してはなりません。
では、清水博士の自決の辞を、心してお読み下さい。
新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團体及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ我國ノ將來ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ併シ小生微力ニシテ之ガ對策ナシ依テ自決シ幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈願セント欲ス之小生ノ自決スル所以ナリ而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ択ビタルハ楚ノ名臣屈原ニ倣ヒタルナリ
元枢密院議長 八十翁 清水澄 法學博士 昭和二十二年五月 新憲法実施ノ日認ム
追言 小生昭和九年以後進講(宮内省御用係トシテ十数年一週ニ二回又ハ一回)シタルコト従テ龍顔ヲ拝シタルコト夥敷ヲ以テ陛下ノ平和愛好ノ御性質ヲ熟知セリ従テ戦争ヲ御賛成ナカリシコト明ナリ
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皇紀2670年(平成22年)9月28日 4:10 PM
微力にして対策なしなどと仰らずに、生きて戦って頂きたかった。社会活動が難しかったのなら、一時潜伏してでも同志を募り、正論を広めて頂きたかった。それも困難なら、一人でも執筆活動をして後世の我々に残して頂きたかった。死して訴えるよりもずっとその方が日本国のためになったのではないでしょうか。その死の報告を聞かれた時、先帝陛下のお気持ちは如何だったでしょうか。そのお気持ちのことだけとっても、生きていて頂きたかった、と思います。
皇紀2670年(平成22年)9月29日 6:29 PM
たちあがれ日本 9.30「尖閣諸島を守れ」緊急街頭演説会開催日時/平成22年9月30日(木)17:00?場所/JR有楽町駅中央ロ(有楽町イトシア前) 東京都千代田区有楽町二丁目7番1号付近弁士/党所属国会議員※現場判断により、時間が前後する場合などがございます。〈問い合わせ連絡先〉たちあがれ日本事務局 03-3582-8111◆平成22年9月26日 「尖閣諸島は、過去も現在も未来も日本の国土である」※テキストhttp://www.hiranuma.org/new/index.html◆平成22年9月24日 声明文 PDFhttp://www.tachiagare.jp/pdf/newsrelease_100924_2.pdf◆記者会見 動画 平成22年9月24日 YouTubehttp://www.youtube.com/user/tachiagarenippon#p/u/0/lPzoEVvweR0たちあがれ日本HP https://www.tachiagare.jp/
皇紀2670年(平成22年)9月30日 7:28 PM
木村?太郎著「日の丸と天皇さま」より引用>・・・枢密院副議長法学博士清水澄先生の「帝国憲法大意」昭和十年版の自序欄の終わりに、憲法改正の点に就いて「終わりに注意すべきは帝国憲法は我が國體を基礎として制定せられたるものなるが故に、國體を変更するが為の憲法条項は絶対に為し得られざることなり・・・云々」と記されており、他の多くの法律学者の学説も大同小異、国体を護る説に就いては皆一様であった。(「日の丸と天皇さま」P145) 「國體を変更するが為の憲法条項は絶対に為し得られざる」という信念の下、新憲法実施の日に認められた自決の辞。>依テ自決シ幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御座位を祈願セント欲ス 現世で不可能であれば「幽界」より。 日本を護っておられる存在を決して忘れてはならないと改めて思う。