左傾化から高市首相を救う参政党
東南亜諸国連合(ASEAN)首脳会合に続く昨日の日米首脳会談で、各国首脳や米国のドナルド・トランプ大統領との対話の様子から、三代続いた「ポンスケ首相」を経て高市早苗首相へと政権交代した実感がわいた国民も多かったのではないでしょうか。
左翼・極左暴力活動家と連動してきた報道権力があれほど「高市サゲ」を仕組んだにもかかわらず内閣支持率は、各社世論調査でご祝儀相場にしてもかなりの高水準を叩き出しました。もう私たち国民の多くが左翼の言うことなど一切信用していないのがこれで明らかです。
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就任早早の外交に於いても左翼連中は、高市首相の英語力に難癖をつけて回っていますが、実のところとっさの発言でも見事なものでした。英米以外の「非英語圏」に当たるASEAN首脳たちも含め、英語の発音レヴェルは皆、高市首相と似たり寄ったり、或いはほとんど話せない首脳もいて当たり前です。
いざとなると外国人の英語や日本語(私たちの国語)の発音を莫迦にするのが左翼・極左だ、ということがよくわかりました。
言語は「この人と話がしたい」という際の道具であり、それを使って私たち国民の代表という責務を果たす上で、相手の言いなりに首を縦に振るばかりでなく、自らの主張をはっきりと言葉にする高市首相への評価は、まだまだこれから「実際に何をするか」にかかっています。
各国首脳から熱い歓迎を受けたマレーシア(馬国)の首都クアラ・ルンプールで、高市首相が日本人墓地と続けて国家記念碑を参拝したことについて、主にSNS上では、馬国にもいる中共(支那)系左翼から「日本の加害の歴史」云云の誹謗中傷を浴び、韓国でも北韓(北朝鮮)系左翼がここぞとばかりに叩き始めましたが、それはまるで靖國神社参拝を非難する「準備運動」のごとく滑稽です。
と申しますのも、これまで馬国訪問時に岸田文雄氏も石破茂氏も日本人墓地に献花しましたが、今回のような誹謗中傷を一切受けていません。つまり、高市首相の参拝にのみ「馬国人が嫌がっている」というのは、すべて中共・北韓系左翼・極左の詐欺に過ぎないのです。騙されないでください。
さて、まさに高市内閣がこれから「何をするか」に懸かることですが、参政党がまず仕掛けました。かつて高市首相が案を提出したにもかかわらず岩屋毅氏に「潰された」という日本国国旗損壊罪を新設する刑法改正案です。
高市首相がこれを本当にやるのか否か、やると言うなら審議に乗ってくるはずだ、という参政党の「左傾化したダメ自民党」を覚醒させるやり方は、私たち国民にとって極めて明快であり、いわば「高市自民」の誕生で埋没する可能性(実際に政党支持率がいくらか下がった)を払拭しなければならない参政党の生存を賭けた闘いが始まりました。
私たち国民が先の参議院議員選挙で参政党を躍進させたのは、自民党に対するこうした役割を期待してのことです。二十六日投開票だった宮城県知事選挙でも、左傾化していた現職候補に対してあれほど(同じく個人の評判が悪かったにもかかわらず)参政党推薦候補が肉薄し、現職を「辛勝」に追い込んだのは、まさに期待通りの活躍だったと申せましょう。
いわゆる「スパイ防止法(仮称)」もこの調子で参政党が主導し、高市自民を刺激するのがよいでしょう。どんどんやって左傾化しきっていたわが国を中道へ戻してもらいたいのです。
そう、左翼・極左から見れば中道も右翼に見え、あたかもわが国が「右傾化する」ように感じるのでしょうが、自身の頭が左にぶっ倒れて脳がお花畑へ飛び出していることに一刻も早く気づいたほうがおよろしかろう、と。私たち国民の多くは、極端な左傾化を嫌悪しても、極端な右傾化など望んでいません。
日本を守り、日本国民を守る政府を求めているだけです。特に祝日には各家庭が好きに国旗を掲揚し、それを損壊した者が犯罪者として裁かれる当たり前の世の中を阻止しようとする中共・北韓の工作員が国外追放に処され、二度と再入国できないよう私たちの暮らしの安全が守られればそれでよいのです。
「それが右傾化なんだよ」という人は、だから脳ミソが飛び出して頭がお留守になってますよ、と。





皇紀2685年(令和7年)10月29日 9:49 AM
ゝ就任早早の外交に於いても左翼連中は、高市首相の英語力に難癖をつけて回っていますが
他の所で見ました。英語の発音がネイティブじゃないと言ってるとか…その言い方がおかしい。だってネイティブじゃないんだから。大丈夫ですよ、安倍総理も米国議会の演説の時より何年も後、どこかでスピーチしてたの見たけど物凄く流暢になってました。聞いたところによると、あの頃だからアメリカドラマ「24時間」を観ていたとか。高市さんは長い間英語を喋る機会から離れていたし、これからは機会も増えるから矯正されて行きます。
皇紀2685年(令和7年)10月29日 8:29 PM
いつもありがとうございます。
以下は、ずいぶん過去に書いたものですが、どうかお許しください。拝。
「泣いたおばあちゃん」
もう30年も前の事。大学一年生の私のサークル活動は、
市営住宅で一人暮しをしている、あるおばあちゃんを訪問する事だった。
おばあちゃんは身寄りが無く、80歳を過ぎていたが、身体は元気。
「このきゃらぶきは、あたしが漬けたんだよ。食べな。」
漬物とお茶を出してくれるおばあちゃん。
「おばあちゃんは魔法使いかなあ、ボクは土曜日の午後になると、
魔法でもかけられたみたいに、ついついココへ来ちゃうんだよ。
可愛いい女学生を映画に誘うつもりだったのにさ。」他愛ない話をして笑い合う。
時には、ちょっとしたお手伝いもする。
「どうしたの、おばあちゃん ? 」
「戸が開かないから、家に入れないんだよ。」
南京錠をかけて銭湯へ行き、帰って来たが、カギが無いと言う。
どうやらカギは家の中。「大丈夫。今すぐ開けてあげるから、待っててね。」
市営住宅の管理事務所へ行って、ネジ回しを借りて来る。
南京錠と連結している板金は、木戸にネジで固定してあるので、ネジを外せば良い。
「ほら、開いたよ。さあ、家に入って休もう。
おばあちゃん、立ちんぼだったから疲れたでしょ。」
「ああ、良かった。助かったよ。ありがとう、ありがとう。」
何度も言ってくれる おばあちゃん。
「そんなに言われるほどの事は してないよ。」
だが言葉とは裏腹に、ちょっとイイ気になっていた私。
そんな私が、その2ヶ月後に 自分の未熟さを思い知らされて、愕然としてしまったのだ。
夢にも思っていなかったのだが。
夏休みに帰省し、9月に大学に戻ってサークルの仲間たちと再会したその日。
「お前まだ知らないだろ、お前が訪問してたおばあちゃん、...死んだぞ。
急な事だったらしいが、詳しい事は俺にもわからん。葬式はもう済んでる。
お前にはショックだろうが、まあ、・・・仕方ないさ。」
私の頭の中で「あんなに元気だったのに・・・何故・・・。」という思いがグルグル回った。
そして 悲しみとか淋しさ以上に、
突然の死という不条理をどう受け止めたら良いのか 困惑するばかりだった。
だが、これだけだったら、おばあちゃんの存在も死も、私はやがて忘れる事が出来ただろう。
おばあちゃんを最後に訪問した女学生から、その時の様子を聞かされなかったならば。
その日、おばあちゃんは泣いたのだ。女学生にすがりついて
「あたしなんか、生まれて来なければ良かったんだ」と言って泣いたのだ。
この事を聞かされた瞬間、頭から冷水を浴びせられた気がした。
そんなにも辛かったのか、そんなにも悲しかったのか、おばあちゃんの人生は。
以来30年、私はおばあちゃんの
「あたしなんか、生まれて来なければ良かったんだ」という言葉を忘れる事が出来なかった。
重いから捨てる、でも、思い直して拾う それを繰り返して来た気がする。
そして今、ようやく言える時が来た。
おばあちゃんの辛さも悲しさも全然見えてなかった私にも、
心の底から言ってあげられる言葉が、今 私の中に生まれたんだよ。
おばあちゃん、聴いてね。
「世界は広くて 人は多いけれど、その中にたった一人でいい、
本当に必要な人が一緒に居てくれたなら、人は生きて行けるのです。
だから、お互いに、
誰かの本当に必要な人に成れたら、人生とは何と素晴らしいものでしょうか。
その時こそ、生きて来て良かった、生まれて来て良かったと、
自分の生命いっぱいに感じられるのです。
それは魂の震えるような喜びだと思います。
こんなふうに思えるように成れたのは、おばあちゃんのおかげだよ。
ボク一人じゃ、出来なかったと思う。おばあちゃんと出会えて良かった。ありがとね。」