岸田訪米が惨めだった理由
九日記事で申したことを踏まえれば、岸田文雄首相の訪米がなぜああも酷い有り様(国賓待遇ならぬ「酷貧」)になったのか、皆さんにもその理由がすぐにお分かりになるはずです。
米ワシントンD.C.近郊のアンドリューズ空軍基地(米政府専用機の本拠地)に日本国政府専用機で降り立った岸田首相夫妻を出迎えたのは、口やかましい「害人」ことラーム・エマニュエル米駐日大使のみで、大統領官邸(ホワイトハウス)で開かれた日米首脳会談後の記者会見で、岸田首相は「同盟国たる中国(原文ママ)」と言い間違える始末。
言い間違えの常習犯である「呆け老人」のジョー・バイデン米民主党大統領ならともかく、その後に開かれた日米首脳公式晩餐会での「英語の演説」が頭の中でめぐりめぐっていたせいか、周囲に「日程が過密で疲れていたのでは」と言われるようなら、今すぐ首相を辞めて楽になればよろしい。
その演説原稿を米大統領専属経験者に書いてもらった惨めなこと極まりない岸田首相の胸には、日米両国の国旗をあしらったバッヂがあり、しかしながらバイデン大統領は、星条旗のみのバッヂしかつけていません。
また、ここが重要なのですが、靖國神社も参拝しない岸田首相がその前日、アーリントン国立墓地には参拝しました。赤紙一枚で散った私たちの先人たちには垂れない頭を、敢えてこう申しますが、先人たちを大量虐殺して回った米兵の御霊には下げてみせたのです。
靖國をはじめ神社そのものを「祭祀を知らない愚か者たち」が宗教法人にしてしまったため、正統典範(皇室典範)を奪い、勝手に十一宮家を臣籍降下させた占領統治の「ありがたい現行憲法(占領憲法)」を盲信するようになった私たち国民の一部は、靖國参拝とアーリントン参拝を「別物だ」と主張したがります。
しかし、実際には、同一にして両国共に唯一無二の存在であり、靖國を参拝しない日本国首相がアーリントンを参拝するのは、極めて異常にして私たち国民を愚弄するものにほかなりません。
岸田首相の本音だったとも受け取れる「中共は同盟国」に従えば、今後起こりうる共産党人民解放軍による犠牲者(私たち国民)を悼まず、共産党軍の戦没者にのみ頭を下げるようなものです。「何としても国民を戦争では死なせない(避戦・反戦)」という強い決意もなく語られる「平和」になど、何の意味もありません。
その上で、台湾有事を見据えた日米の指揮権統合について(日米比首脳会合とも関連して)ですが、かつて「日本を焼け野原にした米軍が日本の安全保障を担え」とばかりに吉田茂首相とマーク・クラーク米極東軍司令官(いずれも当時)が口頭で密約を結びましたが、昭和五十三年にわが国政府(福田赳夫内閣)が米軍による有事指揮権を拒否して現在に至ります。
中共に玉を握られ、安倍晋三元首相が暗殺された時に「ニヤついた外道」こと林芳正(リン・ファンヂャン)内閣官房長官が述べたのは、この踏襲にすぎません。
占領憲法の「毒」が体中に浸透すればするほど、自衛隊の国家有事対応など「言語道断」となり、体裁として「軍隊ではないので他国軍と指揮命令系統を一にできない」としながら日米安全保障条約(在日米軍基地提供条約)に従って米軍の「強い要求(命令、恫喝の類い)」にはいざとなれば従わざるをえないのです。どうせそうなります。
ですから、表立って問題になるような議論を慎み、ひたすら米軍の行動につき合わされるだけのわが国に、自国はもちろんのこと、台湾も韓国も、東南亜諸国も守れません。わが国が「平和国家」というのは、占領憲法を「憲法」としている限り真っ赤な嘘なのです。
米民主党政権の言うことをよく聞く岸田首相に「国賓待遇」が用意されながらも、適当にあしらわれてしまうのは、まさに「愚かなほど飼い主の言うことをよく聞くだけの駄犬」だからであり、それ以上の「エサ」を必要としない旨の判断が米政府によってなされたことが分かります。
中共に対しても全く同じで、少し脅せばすぐに配慮してくれる日本政府は「阿呆顔のチョロいヤツ」なのです。北韓(北朝鮮)を訪問できるか否かとまで言われながら結局は「もう興味がない」などと切り捨てられた岸田首相は、北韓が犯した拉致事件の解決を主張したからではなく、ものすごく単純に、外交手順に於ける決断が鈍かったせいでした。
それが日米首脳会談でのバイデン大統領の「北韓との首脳会談を歓迎する」というやり取りに表れています。なぜこのようなことを米政府に言われなければならないのか、これは、岸田首相が自ら決断しなかったことの裏返しなのです。
十四日に帰国予定ですが、帰って来なくて結構です。