革命とは「虐殺」「略奪」

皇紀2673年(平成25年)5月6日

【コラム】

しばしば私たちが胸躍らせて期待する「革命」ってのはね、
 大抵「虐殺」と「略奪」に終わり、あとは何も残らない。

 仏国(フランス)の著名な絵画に『民衆を導く自由の女神』ってのがあるでしょ。描いたのは浪漫主義の大家フェルディナン=ヴィクトール=ウジェーヌ・ドラクロワで、今はルーヴル美術館で観られますが、これ、今年の二月に来館者がペンで落書きしてちょっとした騒動になった。

 題材は仏七月革命。ルイ十六世とマリー・アントワネットが処刑された仏革命から復古王政が興り、再びブルボン朝がひっくり返された時の暴動ですね。まぁこれがややこしい。前の革命で国王の処刑に賛成した議員はのちのち報復の対象にされており、またぞろ王政を倒したかと思いきや「市民王」なんぞを名乗ったルイ・フィリップが国王の座に就いて、一体何がしたかったのやら。

 しかし、私たちはしばしば「革命」という言葉の響きに胸躍らせるわけよ。モヤモヤし始めた旧体制(アンシャン・レジーム)を倒せば何かが変わる、という期待ね。ところが、革命ってのは大抵「虐殺」と「略奪」に終わり、あとは何も残らない

 わが国は二千六百七十年以上も皇室をいただくおかげで国がひっくり返るような混乱はありませんでしたが、大東亜戦争で初めて近代戦に敗れて占領統治が始まったころ、そして細川政権や鳩山政権が誕生したころは、この淡い期待に胸躍らせたかもしれません。占領憲法(日本国憲法)という厄介なお荷物を抱えはしたけれど、でもやっぱり何も残らなかった。

 他の画家が避けて通ったこの「革命」というやつの正体を、ドラクロワは見事に一枚の絵の中に描き込んでいる。薄汚れた生身の女たる「自由の女神」の周りには、殺害した兵士から略奪した数多の品を身につけた民衆が不安げに、こちらに向かって歩いてくるわけだが、彼らの足元には衣服さえ剥ぎ取られた兵士たちの累々たる遺体の山。

 今や仏国を表す記号(アイコン)と申して過言ではないこの絵は、描かれた当時不評を買い、政府に三千フランで買い取られて美術館の倉庫に隠された。民衆の「敵」と煽られた王政に取って代わった「自由」の「民主」政府がやる最初の仕事だったとも申せよう。

 ドラクロワはジャン=ジャック・ルソーらを批判し、知人に宛てて「自由とは行動に制約がないことで、過剰な権利の主張より緩慢な服従のほうがまだよい。保守的で申し訳ない」と書いた手紙を送っている。

 そう、私たち日本人が自由にのんびり暮らしていられるのは皇室のおかげかもしれない。これを潰そうという人たちの「革命」が始まったら、確実に「浅間山荘事件」が全国津々浦々の家で起きてしまう。私たちは殺されて奪われるのだ。ろくなもんじゃない。

 文=遠藤健太郎 (真正保守政策研究所代表)

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