中国が日本外交に負けた日
昨日記事で岸田文雄首相の印国訪問からウクライナの訪問計画がかねてより(八日記事の段階で既に)首相官邸にあったことを申しましたが、そのことを中共は知らなかったようです。
もしいち早くこの情報を耳にしていれば、習近平国家主席の訪露日程を前倒ししたでしょう。或いは、何としても岸田首相より先に習主席がウォロディミル・ゼレンスキー大統領に会いに行ったはずです。
ウクライナ訪問で習氏が岸田首相の後塵に喫したことで、これで米民主党のジョー・バイデン大統領が思い描く通り中共の停戦工作をゼレンスキー氏が受け入れることはなくなりました。
ウラジーミル・プーチン大統領にしてみれば、中共が停戦工作で動かずともウクライナの分割統治に向け、自力で侵攻を勝利のうちに収めることができます。習氏の提案で二日続けての露中首脳会談を受け入れたもののプーチン大統領は、露国の弱体化を狙っていたくせに恩着せがましい習氏の話になどほとんど興味はなかったでしょう。
確かに先進主要七か国(G7)では岸田首相が最も遅くウクライナを訪問しましたが、昨日申した「行きたければ行けばいい」の理由は、中共の面子を潰す目的だけは果たせたことにあります。これが岸田首相のウクライナ訪問の意味であり、国際外交上唯一の意義です。
だからなのか、立憲民主党の愚かな人びとが何か騒いでいます。幼児以下の役立たずに「子供みたい」などと言われる筋合いも、これをもって内閣を総辞職する必要もありません。むしろ岸田首相は、外交上評価されるべきです。
と申しますのも、昨日記事が招きかねない誤解を一つ解いておきたいと思います。
わが国がウクライナ側につく必要など一切ないことに変わりはなく、岸田首相が対露方針の転換を図り始めたのも事実ですが、ウクライナ訪問計画を極秘に練ったのは、米軍側からの強い意向があったからです。
現行憲法(占領憲法)禍のわが国政府が米国を裏切って露国と手を組み、密約を交わして安全に訪問計画を遂行した、とも読み取れてしまう昨日記事には、いくつかの言葉が不足していました。
しかし、私が強く申したいのは、本来なら千島列島と南樺太を奪還すべき日露講和の交渉をさんざん米国に邪魔され、結局は安倍晋三元首相でさえ憲法問題に斬り込めないと知ってプーチン大統領を失望させ、再び講和が遠のいたことを、たとえ日米同盟を前提としても私たち国民がこれ以上沈黙し続けるのですか、と。
その上で、岸田首相が見せかけの憲法問題の解決を提示する可能性があり、それではいわゆる「日米合同委員会の呪縛(米軍と高級官僚主導の日本統治)」から全く逃れられません。行政権力が私たち国民の望むことをせず、望まぬことばかりする政治が続くのです。
これは、私がさまざまな行政陳情をする中で、最も高いと思い知ったあまりに巨大すぎる壁であり、それでも諦めずにその網をかいくぐろうとするのは、安倍元首相が言った「日本を取り戻す」ためにほかなりません。
とりあえず中共の鼻は明かしました。野党と報道権力が批判すればするほど、その効果は大きかったと思ってよいでしょう。今後は、いかにわが国がわが国の意志で動けるようになるかが極めて大きな課題です。