日本も韓国もマスコミが左
三月十一日……どうしても東日本大震災が起きた十二年前のあの日を思い出します。一月十七日にも、もう記事にこそしませんが阪神淡路大震災で、私自身が初めて経験した都市型大災害を思い出さずにはいられません。
先人たちは、過去のこうした自然災害を後世に伝え遺しています。私たちは、ついぞそれらを忘れて暮らしていたがために、同様の災害に対処できなかったという事例も、東日本大震災で数多見られました。
「なぜここに神社があるのだろう」「この石は何のためにここに置かれているのだろう」……そうした先人たちからの警告もまた伝統の一種でしょう。私たちは、伝統を忘れ、ないがしろにしたところでわが身を危険に晒してしまいます。
災害列島で自然祭祀が育まれた民族の伝統を、決して忘れてはならないのです。
さて、韓国の中央日報が配信したこの酷い記事をご覧ください。「日帝が月台と三軍府など主要施設を毀損してその上に鉄道を敷いた」と書いてあります。これが新聞社の記事ですか?
ソウル特別市の発表がそうなのかもしれませんが、まるで極左暴力集団の機関紙か何かのようです。このようなものを韓国国民は読まされており、道理でわが国の本当の姿を知った若い世代が大いに疑問を呈するようになりました。
当時の写真を見る限り申し訳ないですが、人民搾取型の李王朝が大韓帝國を名乗っていたころ、或いはそれ以前から、当時のソウルでさえも王宮以外は貧しい建物ばかりでした。玉座から遠ざかれば遠ざかるにしたがって、瓦屋根が茅葺に変わり、どんどん朽ちていたのです。
それを取り壊して必要な線路を敷設し、都市機能の充実を図った大日本帝國の苦労を、よもや「日帝が毀損した」などと書くとは、大和民族と韓民族両方の先人たちに無礼だとは思いませんか? 敷設工事には、両者が取り組んだはずです。
ちなみに、記事中にある「議政府」は、現在京畿道の議政府市にその名を残しています。この大層な名前は、かつて李氏朝鮮(李王朝)の太祖・李成桂が五男の李芳遠(太宗)が権力を奪ったことに腹を立て、その地に居を構えたため、大臣たちが政治の相談に通ったことから「議政府」との名がつきました。
もちろん景福宮にこそ行政機関の議政府があった(のちに大日本帝國が京畿道庁舎を建てた)わけで、日韓併合条約を締結して「同じ釜の飯を食った」日本人にヘイトスピーチ(憎悪差別扇動)を吐いている暇があったら、少しは自国の「故意修正されていない歴史」を見つめ直すことです。
もう一つ、中央日報の酷い記事を取り上げておきます。三日記事でも触れた「三・一節に日章旗」の件ですが、日韓併合条約を正しく理解している彼は、これまで報道権力の取材に「私は日本人だ」とか「韓国が嫌いだ」とは一度も言っていません。
第一報で「彼がそう叫んだ」と勝手に書いたのは、報道権力です。わが国も韓国も、報道権力のほとんどが左派(親北派・親中派)か極左暴力集団の一味であるため、日韓両国民は揃って、ろくな記事を読まされていません。だから日韓共に若い世代が報道から離れていったのです。
北韓(北朝鮮)と中共による日韓分断工作は、そこここに転がっています。「旧王宮の一部を毀損した日本は謝れ」などと言い出す前にわが国政府は、絶対に二度と頭を下げない毅然とした態度を明確にしなければならないのです。
皇紀2683年(令和5年)3月11日 1:09 PM
マスコミが左、教育現場も概ね左、この環境下では素直な子は普通に左寄りに育ってしまうでしょうね。特にエリート官僚は。
ましてや政治家は、野党はもとより自民党ですら中国礼賛議員、リベラル議員の多いこと。
保守派議員がマスコミの強烈な圧力、プロパガンダにより議席数を減らす傾向にある日本の現状は非常に危機的だと思います。