国民性を狂わす有害人議員
暗殺された安倍晋三元首相に対する政治的評価が二分するのは当たり前です。亡くなった方が政治家である以上、或いはエリザベス女王陛下に対してさえも英連邦王国の内外で、その評価は二分しています。
私も、重要な陳情を聞いてくださった安倍元首相という想いと、のちにいわゆる「アベノミクス」が初めからつまづいた(日本銀行の量的金融緩和から始めたためにそのまま終わった)のを批判して距離を置いてしまったという想いが交錯し、それでも国葬儀には同意しました。
未だに「法的根拠がない」と信じている国民がいるのは、頭が悪すぎる野党議員たちと報道権力がそう煽動したからでしょう。多くの人びとが騙されていることに気づいてすらいません。
目下の流行は、朝日新聞社を中心とした「かつて内閣法制局長官が『三権の長の合意なしにはできない』と言った」という言論です。
しかし、佐藤栄作元首相が亡くなった際、そもそも佐藤元首相とそりが合わない三木武夫首相(当時)が最初から国葬を執り行う気などなかっただけのことでした。
それに、内閣法制局の見解を「絶対」だと信じることはできません。大日本帝國憲法の改憲規定を無視して現行憲法(占領憲法)を「憲法」と位置づけ、集団的自衛権の行使についても、その見解を猫の目のように変える組織こそ出鱈目の極みでしょう。
安倍元首相の国葬儀が厳然と法的根拠を有しているのは、最新の内閣府設置法によります。古い戯言を持ち出して反対する高齢者たちの、何と醜いことでしょうか。
さらにもっと醜いのは、他人の弔意を揶揄する大莫迦者があまりにも多くなった現実です。
立憲民主党、れいわ新選組や日本共産党が国葬儀欠席を高らかに謳う醜さはもとより、立民の最高顧問である野田佳彦元首相が出席を表明したことに「だったら出て行け」などと罵る立民支持者たちの「下人ぶり」は、もはや目も当てられません。
同じく立民の謝蓮舫参議院議員が人間として最低な行ない(国葬儀の招待状をSNSに上げて欠席をわざわざ宣言)に出たかと思いきや、立民の支持母体だった連合の芳野友子会長が出席を表明したことに噛みつき、弔意の「強制は駄目」と言った張本人が弔意を示さないよう「他人に強制」しています。
こうした「下層」な言動は、そのまま立民支持者を中心に広がり、報道権力が世論を操作して、とうとう国葬儀の是非が逆転してしまったほどです。各国の大統領や首相たちが出席に二の足を踏み始めたのは、わが国自らがやってしまった「反アベ工作」が原因でしょう。
わが民族とは文化・風習・風俗のいずれも合わない中共人民がわが国に増えて何が困るかというかねてからの議論で、民族性の劣化が挙げられてきましたが、残念ながら謝蓮舫議員らがそれを証明してしまったようです。
これは民族性の議論であり、人種に対する差別や偏見ではありません。現に私たちの民族性が狂い始めています。野田元首相が述べたように「『長い間ご苦労さまでした』と花をたむけてお別れしたい」というのが最大公約数的大和民族の性質です。
死者への評価からその遺体までもを傷つけるというような考え方は、わが民族にはありません。それが狂い始めているのです。
この認識に立ってこれからますます私たちは、有害なものの侵入に警戒しなければなりません。
皇紀2682年(令和4年)9月17日 10:46 AM
過去に「日本は既に反日の朝鮮人によって侵食され乗っ取られ支配されている。だから日本の全てが朝鮮半島と同じレベルにまで劣化する」と私は何度もコメントさせて頂いた。「朝鮮人によって」 が 「シナ人によって」へと代わりつつあるが、奴らは「無神の世界しか知らない」ので、本質は同じ。自分を神とする。エゴイズムが全てに優先し エゴイズムのために全てを汚し歪曲し隠ぺいする。奴らにとって、神は邪魔者でしかない。毛沢東も李承晩も文鮮明も 本質は同じ。
だが神の関与によってこそ、人は 真実を求める。人間性を追求する。私の専門は宗教哲学。特定の宗教の立場には拠らず、宗教的真理によって 神と人の関係を正確に表現しようと努める。
神と共に生きる事を望むのか 神の無い世界で自分を神として自他を滅ぼす地獄を作るか 日本人が どちらに向かうのかを自分で決断できないまま 支配されて滅びる事を 俺は危惧している。
皇紀2682年(令和4年)9月18日 9:02 AM
良い歳して、他人を慮る気持ちもなく、ひたすら自分の感情に任せて、要望を通す為に声を上げる、そして時には暴力も正当化する。知性の無いケダモノ達。そこにはかつて岡倉天心が看破した日本文化の真髄もない。日本の品位を貶めるのもいい加減にして貰いたいです。