財政健全化が生んだ犯行か
武漢ウイルス(新型コロナウイルス)向けとされたm-RNAワクチン大量摂取国を中心に、サル痘の感染拡大が報告され始めています。米国のほか、通常患者の報告がない欧州各国(英国やスペイン、ポルトガルなど)からも複数の患者が出ているようです。
二年前の武漢ウイルス漏洩(感染拡大)発覚以降の流れからしますと、恐らくわが国でも出るでしょう。天然痘を含め、今後の情報に注意してください。
ところで、北朝鮮が突如武漢ウイルスの感染拡大を今さら喧伝し始めたのには、露国のウクライナ侵攻に絡む経済的、外交戦略的思惑が必ずあるはずです。もう少しでその具体的理由が判然としてくるでしょう。
この誰にでも分かることが中共のリン、いや失礼、山口三区民が当選させてしまった林芳正外相には分からないのか、或いは分かっていて「放っておけばいいとは、なかなかならない」などとワクチン支援を提唱する「人間のゴミ」っぷりを披露しました。北朝鮮で「人間のゴミ」と指された者は大抵、高射砲で公開処刑されます。早く行ってされてくればいいのに……いや重ねて失礼。
死亡も重症化すらも防げないどころか次の禍(痘)を招くワクチンなど「喜んで北朝鮮に流す」と申したいところですが、どうせ北朝鮮のことですから(未だ欲しがる愚かな国に横流しでもして)カネに替え、人民には接種されないでしょう。
未解決のまま居直る大量拉致事件の犯人に対して「支援」などという出鱈目な提言をする莫迦を外相にした岸田文雄首相の責任も極めて重いのです。
さて、わが国の「財政危機」を喧伝し続けてきたインチキ省庁の代表たる財務省がこの数日、少なからず騒がしいようです。小野平八郎総括審議官が二十日、暴行罪の容疑で逮捕されました。小野容疑者は現在、審議官を更迭され、大臣官房付(人事保留扱い)になっています。
しかしながら自民党内で、財務省にそそのかされ続けるだけの財政健全派と、内需回復で国民経済を立て直したい財政政策派の対立など以前からのことですし、財政健全化工作の説明行脚も通常業務で、特に小野前審議官だけが重圧を一身に受けていたということはないはずです。それが暴行の理由にはなりません。
ただ、ストレスの感じ方は人それぞれですから、事務次官候補の一人だったとはいえ耐えられなかった可能性はあるでしょう。その点については、一人の人間に対して気の毒だと思います。
とはいえ現在に至るまでの国民生活の破壊を招いた財務官僚たちに、何が起きても同情の余地など一切ありません。上記配信記事でも触れられている安倍晋三元首相の「日本銀行は政府の子会社」発言に対する報道権力や(紫髪の鬼婆をはじめ)極左暴力集団御用達評論家たちの過剰な非難は、財務省が旗を振ったものでしょう。
端的に申しますと、政府と日銀の連動は(建前はともかく本音では)事実であり、よって仮に日銀が金利を引き上げても政府は財政上困らないのです。国債の利払いだけで債務超過に陥り、国家が破綻するなどということは、まずもってありえません。
いい加減にこの幼稚な説法を、財務省はやめるべきです。やめない限り、これからも何度でも逮捕者が出るでしょう。
皇紀2682年(令和4年)5月24日 12:34 PM
全員逮捕されて内部崩壊してほしい。
皇紀2682年(令和4年)5月24日 1:33 PM
WHOが国家主権を超えて人類の健康を強制的に管理しようとしているという話があるようです。
そこで、この場を借りて、原理原則的なことを書いてみたいと思います。
自然界のもっとも基本的な原則は「無から有は生じない」だと思います。
自然科学ではこれをエネルギーや質量の保存法則として表しています。
人間世界でも、この「無から有は生じない」が成り立っているはずです。
例えば、現在の通貨は資産と負債をペアにしてプラスマイナスゼロとして発行されています。
では、「権力」はどのようにして発生していると考えればいいのか?
権力は資産に相当するものなので、権力だけが発生すれば「無から資産が発生」したことになります。
そこで、ペアとして「責任」という負債が同時に発生されるべきと考えられます。
これがいつ発生するかと言えば、有権者になったときとするのが妥当でしょう。
つまり、有権者ひとり一人が(権力、責任)をペアにして持っているということです。
そして選挙とはこの(権力、責任)を立候補者に委任(移譲)することと考えられます。
この委任(移譲)の内容で政治体制の違いが区別されると考えられます、
民主主義=(権力、責任)をペアにして委任し、選挙などでその権力行使に対する責任が問える仕組みがある政治体制
非民主主義=全体主義、共産主義、社会主義、独裁主義、専制主義
=権力だけが強制的に統治者に移譲され、国民は権力なき責任を負わされ、権力行使の責任を問う仕組みがない政治体制
WHOが国家主権を超える=非民主主義であり、世界が全体主義になってしまう危険性があります。