模倣の追随、日テレのバカ
月曜日から「のんきな話」で申し訳ないのですが、どうしてもこの問題に触れておきたかったので私の自由に述べさせていただきます。
まずテレビ画面から聞こえてくるたどたどしい日本語の女性の声。日本アカデミー賞授賞式の司会が何と、韓国のシム・ウンギョンさんだったのです。
昨年、中共新聞社トンキン新聞のフィクション作家、またはアクション作家の嘘吐きソコソコさん原作の映画『扇動活動家』が誤って最優秀作品賞を受賞し、その主演女優だったことからわざわざ日本テレビ放送網がオファーしたのでしょう。
日本アカデミー賞というのは、投票権を手広く売りさばいたがために、私もかつて或るご縁でアカデミー会員になりかけた程度のもので、主に映画製作者による投票という米アカデミー賞のような重みを有していません。昔から極めて出鱈目な「映画賞ショー」なのです。
東宝・松竹・東映の「持ち回り」と揶揄された頃とは違い、この『新聞記者』や『ミッドナイトスワン』のような小さな製作会社による小品が作品賞をとることは、ただそれ自体に何の問題もありません。
しかし、その年度のわが国の公開作品を代表するような傑作たりえたかというと、どれもまるで及第点に達せず、近年政治的判断による致命的歪みが起き始めた米アカデミー賞に追従しているかのような顛末に、非常な後味の悪さをおぼえるのです。
やはり邦画はこの程度か……と落胆させられこそすれ、邦画の輝かしい変化であったり、映画らしい表現の豊かさを実感させられるような手応えなど一切ありません。
そこにはどうしても、わが国の政治言論が抱える幼稚性の醜い反映があり、政治の闇だの多様性だのを主題においても中身が全くないのです。なぜなら彼らのいう政治の闇は闘争のために煽られたものであり、多様性を訴えながら他者の意見をまるで聞かない「反多様性」という正体が露わになっているからでしょう。
ことほど左様にくだらない映画賞の授賞式に、わざわざ韓国人女優を司会に起用する日テレの莫迦さ加減も際立ち、もはや目も当てらない地獄絵図のような酷いものでした。
このような代物を普通に視聴してしまってはいけないのです。