日本が韓国を裏切った日
本日二度目の配信記事は、未明配信記事で申した「或る過去の大事件」のことです。それは昭和四十九年八月十五日、韓国の朴正煕大統領が狙われて陸英修夫人が暗殺されてしまった文世光事件です。
当時大阪湾に停泊していた万景峰号の船内で、北朝鮮工作員から在日朝鮮人の文世光に朴大統領暗殺指令が下り、文は大阪府警察南署高津交番から拳銃二丁を盗んだ挙げ句、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)大阪府本部(生野支部)で訓練を受け、渡韓しました。私が前出の事件発生でつい思い出したのは、この部分です。
そして文は、日本政府高官になりすまし、光復節記念式典が開かれる国立劇場(ソウル特別市中区)へ向かいます。あまりにも甘いセキュリティを難なく潜り抜け、文は演説を始めた朴大統領を狙撃しようとしますが、これがまず自分の左太腿を貫通、それでもひるまず放った四発目が陸夫人の頭部に命中し、最後の一発は韓国国旗である太極旗を貫きました。
このとき朴大統領が助かったのは、かつて大日本帝國陸軍軍人として優秀だったため、とっさに(実は会場のスピーカー音に紛れて誰も一発目に気づかなかったが)銃声を聞き分けて反射的に演壇の後ろへ隠れたからです。しかし、陸夫人は亡くなりました。その後、朴大統領も青瓦台で中央情報部(KCIA)の金載圭部長に暗殺されてしまいます。それらを目の当たりにし、立て続けに両親を殺されたのが朴槿恵前大統領でした。
式典会場にいた女子高校生までもが文を狙った警護員の流れ弾に当たって亡くなるという凄惨な結末を迎えた朝鮮総連の犯行でしたが、当初は文が「日本人」と勘違いされていたことから、同日に開催予定だったソウル地下鉄一号線(日本の全面的支援で完成)の開通記念式典が中止になっています。
ところが、それはともかくとしても、韓国の捜査当局がわが国に協力を求めたのに対し、肝心の朝鮮総連関連施設を捜査せず、総連の関与が決定的であるにもかかわらずこれをやんわりと否定して、韓国側を大いに失望させました。
わが国がことほど左様に莫迦げた態度をとったのは、俗に昭和四十七年の日中国交正常化から、北朝鮮の背後にある中共を刺激しないよう阿呆丸出しの配慮に及んだためとされています。
朴大統領はこのとき、側近たちに「日本は本当に友邦なのか」「中共が一番ではないか」と慟哭したとされ、あっという間に韓国保守派に「日本は赤化工作の基地と化している」という認識が広まりました。また、陸夫人の国葬に出席した田中角栄首相の軽率な態度がさらに朴大統領を激怒させ、このときこそ、金大中事件を経て日韓関係が最悪に堕ちたのです。
十三日記事で私は、韓国に健全な保守論壇が育てば、中朝の日米韓連携破壊工作を叩き潰し、日韓が勝利する日が来るというような意味のことを申しましたが、実は韓国保守派の対日不信を招いた(韓国保守派にまで中朝の反日工作を浸透させた)のは、中朝ではなくこのときのわが国自身でした。
或いは七日記事で申したようなわが国の態度が世界の平和をもたらしたことがあったか、という自問自答をせねばならず、決して逃れてはなりません。こののち、中共は江沢民国家主席が徹底した反日教育を始めたではありませんか。はっきり申し上げて、中朝に配慮してよかったことなど一つもなかったのです。私たち自身が日米韓関係を壊していたのです。
私は、出鱈目だった「韓民妓生のこと(異称=慰安婦問題)」や「韓民労働者のこと(異称=徴用工問題)」で、韓国に頭を下げる気など一切ありません。大韓帝國の英断だった日韓併合条約締結や、島根県隠岐郡隠岐の島町竹島の領有、または旭日旗などの問題でも、わが国の主張に何らの非難されるべき点はないと確信しています。
しかし、日韓保守派の連携がこうして破壊され、まんまと北朝鮮に高笑いされたまま大韓航空機爆破事件へ、さらに日本国民拉致事件へと繋がる一連の流れを作ってしまった……それが中朝に腰砕けた私たち自身の仕業だったということを、改めて思い知らねばならないのです。
二度とこのような間違いを繰り返すべきでないことを、私たち国民が日本の政治家や官僚に強く、強く求めていかねばならないのです。