コンビニユニオンの正体
まずこの件の要点は、長野県警察の警備企画課が動いたことです。恐らく、いやほぼ間違いなく、この事実をもって河野正史氏には思想的背景があります。では、何の思想でしょう? そう、極左暴力集団(警察用語)の思想活動です。
私はかねがね、コンヴィニエンス・ストアやファミリー・レストランなどは、出店地域の特性から判断して必ずしも二十四時間営業に拘泥した業態である必要はないと申してきました。現時点に於いても、そうでない店舗はいくつも存在します。もともとセブン-イレブンは、その名の通り午前七時から午後十一時までの営業でした。
ところが、店舗従業員(アルバイト)を確保できなかった店舗責任者(この場合はオーナー)が営業時間の短縮を決断して本社から懲罰を受けたというセブン-イレブンの事例は、その地域の特性と現状を全く無視しており、よって私は、必ずしも企業本体を支持する立場にありません。無理やりにでも外国人労働者をこの業態で働かせて「穴を埋めれば」よいというような考えにももちろん立っていません。
そこで、私のこの考えに対して皆さんが別の考えをお持ちであるにしても、せっかく立ち上げる「本来働く人びとのための組合」がまたしても極左暴力集団の呪縛から逃れられないのでは、結局のところ本当にアルバイトやオーナーの方がたのためにはならないのです。
警備企画課が動くには、それなりの捜査があってのことで、県警は河野氏がかねてより極左活動に従事、または関係していたという心証を得ていたに違いありません。さもなくばこの時機での逮捕はないのです。
コンビニ関連ユニオンは現に街頭で、中核派の構成員と共にビラを配っており、前進社(中核派の公然アジトにある出版社)が新しい団体の誕生を懸命に宣伝しています。皆さんも改めて、中核派や革マル派といった極左暴力集団がどのような破壊活動(テロリズム)をやり、多くの人びとの命を奪ってきたか、お調べになってみてください。
昨秋の「救国の提言」講演会にて、元衆議院議員秘書でジャーナリストの渡邊臥龍氏が述べられたように、わが国の労働法制は、基本的に働く人びとのためのものであり、組合の歴史そのものも、決して現在のような「反体制だけが生き甲斐」とか「日本を壊したい」といった危険思想から始まったものではありませんでした。いわゆる保守系の組合があったのです。
ところが、欧米の宗教原理主義から派生した権利闘争に頭の中を侵された者たちが、いえ最初は明治維新、そしてこれが強烈だった二度目は大東亜戦争後占領統治によってほとんどの私たち日本人がこれに侵され、いわゆる「体制」との戦い方が画一的に極左思想から対日ヘイトスピーチ(日本人差別扇動)へと転がり落ちた思想と結びついて、人権や労働といった主題をことごとく極左活動に落とし込まれました。
この新しい「悪の組織」は、中核派関連ユニオンと呼称したほうがよいでしょう。これでコンビニの世界にまで「極左活動家が私腹を肥やす仕組み」を持ち込まれ、それに馴染まないオーナーたちを酷く困惑させ、現場で働くアルバイトの皆さんは全く救われない、ということになります。どうか安易に加入しないでください。
皇紀2679年(令和元年)6月1日 12:00 PM
全てがそうだとは言いませんが、今の我が国国内の会社はコンビニに限らず現場で働く人間は一部の人間達による搾取の対象でしかないと思いますね
これは植民地支配と同じ原理で、現場で働く人間を酷使させて利益だけ吸い取るという奴隷労働をやらせているから24時間営業なんて平気でできてしまんですよ
私も遠藤さんの意見と同じで、24時間営業は無駄でしかないという考えですが、搾取する側の立場の人間はそんなことは知ったことではなく、例え深夜の客が一人しかいなくても、その分の儲けがあればいいという非常にがめつい考えしかないのだと私は思いますね
こういう格差を生み出すような新自由主義的な思想が革命や戦争を誘発するだけですし、幕末の薩長はマンマとこの思想に乗せられて必要のなかった明治維新なんてやったもんだから、その影響が大東亜戦争の敗北と戦後体制へと繋がってきたという考えに私は変わりありません
新自由主義に毒された会社は社員を守ることを一切せず、使えなければ切るということしかしないと思いますし、デフレの問題ももちろんありますが、孤独が自殺を誘発しているのは決して少なくないと思います
デフレの問題も結局は新自由主義的な思想が根本にあり、明治以降150年間に蓄積してきた毒が多くの国民を苦しめているということを自覚する事から始めないと、いつまでたっても正しい思想が受け入れられることはないと思います
それには何度も言っている教育から始めて間違った思想の毒を解毒しないと本当の意味で我が国の未来を切り開くことはできないと思いますし、今のままではどんどん日本西洋化が進み、ますます格差が進み、国内で様々な犯罪を誘発するだけだと思います
移民法で更に加速する危険性さえあります
川崎殺傷事件だって、私は個人の犯罪だけで扱うのではなく、今の我が国の写し鏡だと思って考える必要があると思いますし、死にたければ一人で死ねと犯人を罵倒するだけで済む話ではないというのが私の考えです
私達に蔓延した間違った思想が様々な問題の根本にあるということを自覚しないと、いつまでも同じことを繰り返し、どんどん私達の首を絞めるだけだと思います