日本国民アホ化計画か!?

皇紀2679年(平成31年)3月20日

「堺筋」が「サカイマッスル」?=外国人用HPで誤訳・珍訳-大阪メトロ:時事ドットコム

大阪メトロの外国語版ホームページ(HP)で、「堺筋線」を「サカイマッスルライン」とするなどの誤訳・珍訳が相次ぎ、HPが一時閉鎖された。同社は「確認不足だった」と平謝りだが、ネット上では「大阪ならではのボケかと思った」「面白いし、正式採用したら」と、思わぬ盛り上がりを見せている。 同社によると、昨年9月に公式HPの内容を変更し、英、中、韓、タイの4カ国語に自動翻訳する機能を導入。更新の迅速化が目的だったが、ソフト任せで確認が足りず、誤訳になっていた。 その結果、大阪市内の南北の通りを指す「筋(すじ…

(時事ドットコム)

 かつてフジテレビ系・火曜ワイドスペシャルの「ドリフ大爆笑!」ならぬ「メトロ大爆笑!」。大阪市営時代から頭のおかしな職員が多かったので、できるだけ利用せずに歩くようにしていましたが、自動翻訳の明らかなおかしさにも一切気づかない彼らの異常なまでの阿呆さ加減が露呈しただけの今回の顛末。「堺筋」線の誤訳までは「民営化しても阿呆のままか」とまだ聞いていられたものの、「天下茶屋(Tengachaya)」駅を「World Teahouse」というところで思わず爆笑。私だけではなかったはずです。もうこの際、明日からの車内放送は「Next station is “World Teahouse”. Station number……」でよいでしょう。

 ちなみにくどいようですが、ホームページはともかく駅構内などの案内表示は、国語と英語のみで大きく見やすくさせましょう。それ以外の言語はいりません。しかしながらメトロ社員がこの程度の英語力とは。中共や韓国からの観光客のほうが彼らと比較にならないほど英語がよくできます。だから国語と英語だけでよいのです。

親の体罰禁止、法制化=虐待防止で法改正案決定:時事ドットコム

児童虐待防止対策の強化に向け、政府は19日の閣議で、児童福祉法や児童虐待防止法などの改正案を決定した。「しつけ」と称した悲惨な虐待事件が相次ぐ中、親による子どもへの体罰禁止を明記。児童相談所(児相)の体制強化策も盛り込んだ。施行は一部を除き2020年4月から。政府・与党は今国会の重要法案と位置付け、早期成立を目指す。

(時事ドットコム)

 さて、表題の件はこちらです。以前から申していますように、教育を目的とした有形力の行使(体罰)を否定することは、すなわち教育の否定であり、民法の定める親の「懲戒権」を否定するものにほかなりません。よって「体罰」と「暴力」の区別もつかない阿呆の活動家は、民法改正も訴えています。

 そのような阿呆たちの口調になぞらえて申せば、国家権力が家庭教育に制限を加えるに及んだ「アベ政治」を許さないです。広義に於いて親が子を教育する権利を剥奪する閣議決定をしたことは、まさにわが国民の総白痴化を推し進める政策でしかありません。故・大宅壮一氏も、草葉の陰で「この手できたか」と呆れておられるでしょう。

 堺筋を「Sakai Muscle」と自動翻訳されたものをそのまま書いて平然としていても、親や学校の先生に叱られることがなく、塾の先生に頭をはたかれただけでショックを受けて寝込んでしまうような国際社会生活の成り立たない阿呆な国民を大量生産していこうという話です。このような理念には、国民を人として扱う基本的人権がありません。

 は? 子を傷つけるような親の行為をやめさせようという話が、なぜ「人権がない」になるの? と思った方はもう既に、本能的に危険な行為またはその習慣から子を守ろうとする親の体罰と、捕食を目的としない殺生をするような恐ろしい唯一の動物である人間の理性がもたらす暴力との決定的な差を解していないのです。

 しつけ(躾)の多くは、家庭教育で養われるものであり、特に人格の未成熟なうちは、平気で危険な行為に手を出し、他者と自分との差別化を目的とした暴力にも手を染めますが、それを戒めるには時として体で痛みを覚える必要があり、その体験がない子の知能は劣化していくといわれています。

 台東区議会議員選挙で日本共産党員が全員当選するような「赤と緑の東京都」も、実に莫迦げた児童虐待防止条例案を公表しましたが、本当に日本国民を全員阿呆にしようとしているとしか思えません。将来、阿呆を力で支配するのは簡単だからです。

 そのような「暴力に勝てない国民」を育てる国家権力の理念になど、絶対に屈してはなりません。懲戒権の見直しに至る本法案施行二年後をめどにもう一度私たちは、この点を広く国民と共有できる言論空間を確保・拡大したいと考えています。

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『日本国民アホ化計画か!?』に5件のコメント

  1. きよしこ:

    体罰と暴力の明確な区分けや定義付けは専門家でも難しいとは思いますが、国民総白痴家の顛末が先の都立町田総合高校における馬鹿騒ぎにも見られる教育の崩壊です。乳幼児ならばともかく中高生の特に男子なら親よりも腕力に優れ、つい先ほど中学生が同級生を刃物で刺すという事件がありましたが親を殺傷するなんぞ「お手のもの」でしょう。だいたいこの手の美辞麗句に酔いしれるのは自らに子供がいないか既に子育てが終わった人たちであり、「貴方は本当に体罰を禁止されても大丈夫だと思っているのですか?」と厳しく問い詰めたいものです。家庭内における禁煙もそうですが、法律を作る際には「一つの漏れも許さないぞ」という気概と責任感が最も大事であり、それが欠落している時点で単に世論に迎合した人気取りの政策でしかないことは明白です。ついに出生率が1を割り込んだ韓国の未来も真っ暗ですが果たして我が国はそれを「ざまあみろ」と笑ってばかりいられるでしょうか?

  2. miku:

    安倍政権は本当に危険です。やらなくていいことはどんどん進め、やるべき事は全くやらない。もはや左翼と同じぐらいに危険とみなすべきじゃないでしょうか?
    野党(左翼)がひどすぎるせいで、支持率が上がり、おかしな政策もどんどん通ってしまいます。
    ネット上ですら、少しでも安倍政権の批判を書くと、工作員や左翼の味方だとボコボコにされる。
    その結果、水道が守られなくなり、種子法で食の安全が売り渡され、世界4位の移民国家になってしまった日本。外出して外国人を見ない日は1日もない。しかもベビーカーを引いている人が多いのです。これが何を表すか?将来的な大和民族の絶滅です。

  3. アンチレッド:

    久々にこちらに投稿させて頂きます。
    非常に刺激的なタイトルに釣られて、考えさせられましたw
    >日本国民アホ化計画か!?
    ①自分よりアホな国民を量産することが、自分の利益になる国
    ②自分より優秀な国民を量産することが、自分の利益になる国
    どちらがいい国なのか?という問題でしょうか。
    目先の自分の利益だけ考えれば、①が手っ取り早く簡単なのでしょう。
    国の未来を真剣に考えれば、②だと思います。
    現在の日本が目指しているのは、明らかに①ですね。

    体罰の目的は、自分が痛い思いをして苦労して得た教訓や知恵を、それより軽い痛みおよびより短期間で教え子に身に着けさせるということではないでしょうか。
    敢えて例えれば、
    体罰:予防注射の痛み
    暴力:病気に罹患させて痛めつける
    といった感じ。
    予防注射程度の痛みをイメージした体罰ならば問題ないと思います。

    正しい体罰がうまく効けば、教え子は自分より優秀な人間になるでしょう。
    その優秀な人間が、能力を存分に発揮して公共の利益に貢献すれば、育てた人間にも利益となって返ってくる国になる。
    「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざ通りの国。
    あまりにも出来過ぎた話ですが、これぐらい妄想しないとやってられないのが日本の現状。
    こんなのが大学教授やら有識者なのか、という絶望的な思いをさせられるのが今の日本。

  4. あき:

    この大阪の馬鹿さ加減が心配です。 これが一私企業の遊びとか、学校でイベントでやったとかなら、面白いで済むけど、公的な物は駄目でしょ・了見が小さいとか、心が狭いとか、心にゆとりが~とか、ずれた事言うんですかね。 また、大多数の人はそう思って無くても何時もの事で左翼の心証操作記事かもだし。   選挙酷いですよね~何処も同じですが・でも!都構想だけは止めて!無駄無駄無駄。
    駅表示・兎に角、苦情しているんですが!日本語とまあ、英語表記は必要と思いますが、支那語朝鮮語他全く不要です、糞馬鹿共はまだ増やそうとしてるでしょ、迷惑極まりない!年取ってきたし見にくいんですよね!敵国語で表記とか?呆れる。溜息しか出ない。
    しかし、本当に此処まで政府が劣化、敵に浸食しているとは・・私が呆けっ―としてたんですね、他の日本人もそろそろ真剣に考えて欲しい、大学は淘汰が不可欠ですし、待ったなしです。
    法は人が運用する、人間性(少々勉強?出来ても根幹が腐っていたら無駄)が伴わなければ。 
    国民総痴呆政策は以前からされていたんでは?メディアも総がかりで。もう止めさせないと。
    しかし、日本は何処に行っても同じ様な仕様で町並みには個性も無く金が無い所は加えて汚く寂れて酷いし、京都の風情の無さには驚きです、何でこんななっちゃったのか。
    イタリア・今頃一帯一路~~・経済悪かったからどうなってるかなと思ってたら・・。

  5. cocoa:

    地名に翻訳が必要という感覚が不可解。