朝日と共同…劣悪拡大鏡
「小国の変化」と片づけることはできません。マレーシア(馬国)もマハティール・モハマド首相のまさかの返り咲きで、中共の共産党が「広域経済圏構想」と騙る「広域侵略構想」は既に頓挫しています。いえ、中共経済の頭打ちとあまりのいい加減さによって自壊し始めたと申してよいでしょう。
安倍晋三首相は、この恐るべき構想をそうと知って(わざわざ日中関係を悪化させるような発言をしなくてもどうせ構想は頓挫すると最初から思っていたからか)協調路線を表明したままですが、いずれ日本の方針が亜州各国から問われるはずです。よもやわが国がいい加減な態度をとって各国の信用をなくすことのないようにしてください。
日中関係は、少なくとも互いにいいたいことをいえば即険悪になる程度にしか成立していません。中共は、(個人は別として)全く話し合いにならない国なのです。
さて、ここで二十三日記事について追記したいことがあります。朝日新聞社が取り上げた和歌山市内の書店のことです。
そもそも和歌山市万町(本町二丁目の旧丸正百貨店からすぐのあたり)に「本屋なんぞあったかな」という単純な疑問から調べてみますと、すぐに本屋プラグさんのホームページが見つかりました。本当に小さな、そして確かに趣味のよさそうな本屋さんです。
ページには、やはり朝日の記事による反響の大きさから、店主がいわゆる「新潮社排除」の真意を説明してあり、その文面から漂うものより判断して私が「自由と多様性への敵対行為」と批判したような悪意が彼らにあったとは思えませんでした。批判を撤回しておきます。
ただ、お詫びしないのは、そうと受け取られてもやむをえない彼らの軽率な行動を改めて指弾しなくてはならないからです。確かに「小さな本屋」であり「ほとんど社会的影響を与えない」と彼らが繰り返し説明していたように、朝日の記事掲載前も今も思っていたのでしょう。
ならば朝日新聞社と共同通信社の取材を断わらなくてはいけませんでした。小さな本屋として、社会的影響を与えない自分たちなりの判断をするとして、決して「大きな第三者」に拡大なんぞさせない、と。
その反省なくしてこの説明文では、誰も納得しないでしょう。店主が「新潮45」の特集に不快感を抱くのは、私もそうだったろうと思います。
しかしもう一度申しますが、この特集自体が杉田水脈衆議院議員の予算編成と政治活動(極左権利闘争)の関係について述べた部分から相当かけ離れた議論になっていながらも、もとは杉田代議士の論文から発生した政治的中傷合戦であり、これに反応することが「政治思想ではない」といくら断っても絶対的に無理が生じるのです。
よって「小さな本屋」として自分たちの告知に留め、取材依頼を全て断るしかなかったはずを、まんまと受けたがために「大きな本屋」が「自分たちの政治思想に基づき」「社会的影響を与える」ものになってしまいました。
まして朝日と共同がどのような新聞社・通信社かを考えれば、店主のいう「左翼の本屋」と沸き上がった批判を免れません。私は善意をもって解釈して、この書店をそうとは思いませんから、やはり朝日と共同のタチの悪さ(同性愛者たちを利用した権利闘争の悪質さ)を痛感した次第です。
彼らの取材を受ける特定思想のない方は、十分気をつけてください。
皇紀2678年(平成30年)9月25日 9:55 PM
貴乃花親方が日本相撲協会を引退しました。先生が何度か言及されている通り新しい協会を立ち上げてもう一度神事としての相撲を取り戻すべきです。世論もおそらくは親方に味方するはずです。
それはさておくとして、とうとう新潮社が『新潮45』の休刊(事実上の廃刊)を決定しました。
先日「もう首は突っ込まない」と申し上げましたが、結局新潮社とは、「掲載する論文をろくに精査もせず、少し批判が出れば火消のために廃刊する」というジャーナリズム精神の欠片もない三流出版社だということを証明したわけです。今回の『新潮45』に寄稿した人々らはもちろん、多くの作家の不信を買ったに違いありません。新潮社に何の信念があるかは知りませんが、そもそも最初からカネ目当てでしかない軟弱な出版社など、代わりはいくらでもいます。愛読する出版社の選択肢が一つ減ってせいせいしました。