迎春…そして丁王配の薨去
謹賀新年
例年通りに申しますが本日は、本来暦の四方節・元旦です。本年が明けました。改めまして、よろしくお願いします。
季節のことを申してもいよいよ「迎春」というべきで、本年は特に今しばらく厳しい寒さが続きますが、少なくともこれから冬本番を迎えようという基督教暦(グレゴリオ暦)の一月一日に「迎春」とするのは、あまりにもおかしな話です。
かくして私たち日本人は、もう明治のころより少しずつ祭祀から遠ざけられてきました。宮中祭祀に於いても四方拝と歳旦祭は、本日執り行われるべきです。
奉祝申し上げます。天皇弥栄。
さて、生前に「死後、妻の隣には埋葬しないで」と発言して物議を醸したデンマーク(丁国)王室のヘンリック殿下(王配)が十三日、薨去されました。謹んで哀悼の意を表し、丁国民に衷心よりお見舞いを申し上げます。
仏国伯家の出身にして仏外務官僚だったヘンリック殿下は、なぜあのような発言をなさったのでしょうか。私が欧州の某侯爵に伺ったのは、一般に「彼が女王と対等に扱われなかったことを不満に思っていた」「自分が国王になれると思っていた」とされているのは、実はあまり正確な理由とはいえず、問題はまさに「妻」と指された女王陛下のマルグレーテ二世にあったといいます。
女王陛下についても、概して「気さくなお人柄」とされ、その国民的人気の高さから王国憲法と王位継承法の改正によって丁国初の女王となられたのですが、実は「教科書通りに人と事と物を動かそうとする堅物そのもの」であり、急ごしらえで学んだ丁国語がどうしても仏国訛りだったヘンリック殿下は、ことあるごとに女王陛下から「まるで先生が生徒を叱るように」あしらわれ続けてきたというのです。
この話はこの程度にしておきますが、世界唯一となったわが国の皇室が万世一系の男系継承を守っているのに対し、欧州の王室は女系容認と王朝交代を許してきました。
それは、基督教を受け入れてしまった時から始まったのです。あくまでこの宗教原理に基づきいわゆる「第二王妃」「第三王妃」などが認められなくなったため、王室存続のためにいわば血筋を曲げざるをえなくなりました。
その典型例が英国王室と丁国王室だったわけで、特に後者は近年になって「国民的人気」で簡単に理を曲げた結果がこの「妻の隣には埋葬しないで」騒動です。
基督教布教以前の欧州には、各所で祭祀が根づいていましたが、今やその祭祀を司られるのは、天皇陛下御一人であらせられます。わが国、私たちの果たす役割は、世界的にも極めて大きいのです。
皇紀2678年(平成30年)2月16日 3:03 PM
デンマーク王室とデンマーク国民の皆様に対し、心よりお見舞いを申し上げます。
そういえば、オランダの前王配殿下も、鬱病に苦しまれたようですね。
ご結婚に際しては、「ナチスの教育を受けた男をオランダ王室の婿に迎えるな」とオランダ国民による「反対デモ」が起こり、爆弾騒ぎまで発生し、ご結婚後は、「言論の自由」に制約がかかり、「女王陛下の婿」という扱いに孤独を感じ、精神的に不安定になられたのだと、世間ではそのように言われています。
いずれにせよ、王族として国を代表する事は、並大抵のプレッシャーではないのかも知れません。
王室への婿入りを「気楽な仕事」と捉えるべきではありませんね。
皇紀2678年(平成30年)2月16日 7:46 PM
またまた私事ですが、明日地元の宇佐神宮で祈年祭という五穀豊穣を記念する祭りが行われるので、羽生選手のフリーの演技を観たい気持ちを抑えながら行ってみようかと思います。何せ基督教歴の正月は現地に到着することすら困難なほどの混雑ですので、本来暦における年明けの喜びを静かに味わい皇室の弥栄を厳かに祈ってきます。