なぜ?シスコ市長が突然死

皇紀2677年(平成29年)12月13日

 米加州サン・フランシスコ(桑港)市のエドウィン・M・リーこと李孟賢市長が十二日夜(現地未明)、突然死した模様です。お悔やみを申し上げます。

 ただし、姉妹都市提携先の大阪市が、在韓日本国大使館前の危険物(俗称=慰安婦像)の模造品が桑港市内に設置、公共物として認められることに抗議した際、全米初の中共共産党系市長らしく抗議自体を「恥ずかしいこと」などと恥ずかしげもなく吐き捨てた李市長の罪は重く、姉妹都市提携解消の矢先の突然死だけに、まるで「天罰」でも下ったかに見えるのは否めません。

 亡くなられた方にこのようなことを申すのは、どうにも激しい抵抗を感じますが、極めて残念ながら日本人以外の間では、死んでなお人を罰するような非難が横行しており、私たちだけが遠慮しているうちに私たちだけが「悪者」にされてきました。現下の危険物設置騒動もその顛末です。

 李市長が述べていた市長として汲むべき市民の声とは、まさに在米中共共産党系主導で韓国系を引き連れた対日ヘイトスピーチ(反日)であり、これを「汲むべき」としていたことそのものが政治家として間違っています。

 率先して日本を呪った結果がこれです。本当はいいたくないが「思い知れ」といいたい。そう、亡くなられた市長にではなく、まだ生きている対日ヘイトの中共人、韓国・朝鮮人に対してです。

拉致被害者の増元るみ子さんの母、信子さん死去 90歳

北朝鮮による拉致被害者の増元るみ子さん(64)=拉致当時(24)=の母、信子(のぶこ)さんが12日午前6時過ぎ、心不全のため鹿児島県内の病院で死去した。90歳だ…

(産経ニュース)

 一方で、本当につらいお別れというものがあります。北朝鮮が犯した拉致事件の被害者ご家族は、つぎつぎと亡くなられており、今度は被害者の増元るみ子さん、その実弟で家族会の増元照明元事務局長のお母様が亡くなられました。衷心よりお悔やみを申し上げます。

 先日も申しましたが、桑港市に総力を挙げて抗議すべきだった大阪市議会が大阪維新の会と自民党の怨恨で割れたほど、私たちの国は、現行憲法(占領憲法)の毒が回ったのか闘うべき時にさえ闘えなくなってしまいました。

 私たち国民が国交もない得体の知れない独裁先軍集団に拉致されても、長年その事実を認めず、認めても取り返せないのです。これを仕方のないことだと思っている私たちは、もう既に「人でなし」なのかもしれません。占領憲法の毒が回って罪を罪とも思わなくなってしまったのでしょうか。

 占領憲法を放置したまま「取り返す」という出来もしないことの宣言は、文字通り無意味です。現に出来もせず、無意味な年月を浪費しました。ご家族は浪費させられたのです。毎年どこへ誰がお願いしても「努力している」「痛恨の極みだと思っている」「相手のあることで」と誤魔化されてきました。

 拉致事件の犯人を指して「相手のあること」とは何ごとでしょうか。もし警察官が拉致監禁事件の現場でこのようなことをいえば、即現場から外されるでしょう。私たちも決して許しません。

 少なくとも私たちがこれまで拉致事件を忘れず、被害者の全員帰国をいい続けてきた成果はそれなりにありました。次は、その実現です。どうかもうひと押し、皆さんの声を政府へ届けてください。お願いします。

スポンサードリンク

『なぜ?シスコ市長が突然死』に4件のコメント

  1. miku:

    私は最近まで「お花畑」でありました。拉致被害者に関しても不幸な事件ぐらいの認識しかなく、ご家族の心中を察するなどということはありませんでした。

    なぜそんな「恥知らず日本人」だったかといえば、教育の問題や報道しない自由が原因であることも大きいですが、最大の原因は「日本が独自防衛していないこと」だと思います。

    かつての自分のようなお花畑の日本人は「水と安全はタダ」だと未だに思っているのです。だから拉致被害者に関してもかわいそうだねで終わってしまう。同胞意識がないので怒りを感じないのです。

    ではどうするか?独自防衛はもちろんのこと、「兵役体験」が必要だと思うのです。自衛隊が国防軍になったとしても、自衛隊員におまかせではお花畑は治らない。

    ハイテク化が進む現代で、実際の戦闘に役立たないとしても意味はあります。「国防意識を全員が持つ国はそれだけで強い」と思うのです。私はスイスのように永世中立宣言をして、各家庭に機関銃装備をするのがいいと思います。アメリカ追従も止めるべきです。

  2. きよしこ:

    本当は昨日の記事で、リー市長や新幹線「のぞみ」の重大インシデント、そして増元信子さんの死去に関してコメントをしたいと思って途中まで書き込んでいたのですが、怒りや落胆など、複雑な感情がいくつも入り混じっている間は何か不適切なことを述べてしまうのではないかと思い、止めました。今日の記事を拝見して、その判断は間違っていなかったと思います。

    たとえば人間の屑のような経団連会長を輩出した東レのような企業で不正が発覚すれば「ざまあみろ」と高笑いし、リー市長の訃報を聞いても「もっと苦しんで死ねばよかったのに」とさえ思った私でも、拉致被害者の親御さんが亡くなられたと聞けば本気で落ち込みます。私たちはまたも何の罪もない母親を見殺しにしたのです。もはや日本国民は「人でなし」という表現では生ぬるい「物の怪」と呼ばれるにふさわしい存在にまで堕ちてしまいました。どうせあと数年後には増元さんらも「そんな可哀想な人がいたんだね」という「遺物」となってしまうに違いありません。そう考えると、左翼活動家や反日国家が常日頃から口にする対日ヘイトスピーチも強ち間違ってはいないのではないかと感じるようになりました。今回の増元さんの死去も、一種の「朗報」のように捉える人間が私たちの身近にいるのかと思うと、気が狂いそうです。

    拉致事件に関しては、もうハッピーエンドなど決して存在しません。それでも一刻も早い被害者救出を願い、そのために行動を起こすことは、世界で最もみっともない民族に落ちぶれた日本人に残された、唯一つの汚名返上の手段です。私も、政府や国民に対して何の期待も持たずに、それでもできることをやっていくつもりです。それこそが、拉致被害者と(既に鬼籍に入られてしまった方も含めた)御家族に対して私ができる、たった一つの償いなのです。

  3. 椿:

    本当に悲しい…。
    どうして、こんな国になってしまったんだろう?
    どうして、自国の拉致された人を取り返せず、放置しているんだろう?

    私は以前から何度も言っているんですが、
    日本が真の独立国になる為には、

    絶対に「拉致被害者奪還(救出)」と、
    「ご先祖様の謂れなき冤罪を晴らす」こと、
    「核武装する」ことが、必須だと思っています。

    最低でも上記の事が出来ない限り、
    日本は永久に、米・中・韓・朝鮮から「屈辱を味わされ続ける」でしょうね。

    同じ日本人がこんなに苦しんでいるのに、「遺憾です」とか、「対話します」だの、
    「圧力かける」だの、その場しのぎの【時間稼ぎ】ばかり…。

    安倍さんだって「北朝鮮が対話に応じるように圧力を掛けて行く」なんて言ってるけど、
    具体的にはどういう圧力ですか?「資金凍結」って言うけど、
    拉致被害者を返してくれるほどの効果はないでしょう。
    そんなことくらい、よほどのアホじゃない限り分かってるよね?

    「北朝鮮が対話に応じるような圧力」って言ったら、『日本の核武装』しかないじゃん!
    みんな分かっているのに、アメリカを恐れて、ダンマリを決め込んでいる。

    こんな「人でなし日本人」に、神仏のご加護があるとは思えない。
    本当に日本の未来を考えると、暗澹としてしまいます。

  4. あき:

    自国民を守れない守らない・と言うのが今のというか戦後の日本なのでしょうか?  
    沖縄で延々と反日極左達が、不法暴力行為をする、自衛官他の方への侮辱雑言、署名偽造に米軍落下物自作自演に、選挙結果が気に入らなければやり直させようとする等~今迄もやり続けてたんでしょうね、こんなにバレないだけで。  大体学校の位置とかも基地が有るのにわざわざ近くに?変だな~と思った事有りました。 こういう反社会的屑は全部消えて欲しい・本当に鬱陶しい、実害だらけだしもううんざり。  戦後教育他破壊され糞左翼が造られ朝鮮人が跋扈しそいつらと組んだ連中がずっとのさばる。 
    教育者を自称する連中・武田信玄や吉田松陰などの記載を削れ!慰安婦、南京を載せろ(今、朝鮮人の獄中で死んだ?何か変な女の記載が有るとか??馬鹿なの?)とか、教育勅語にケチをつけるとか・こんな事言う奴らが教育者でしょうか?!!少しばかり成績が良かったか知らないけど知性良識は有りませんよ。 こんな屑が教育者(聖職者)騙りしゃしゃり出てくるのは許せない。子供が歪んで愚かになる。
    結果・拉致被害者放置や、国に対する誇りも無い、歪んだ社会になってるのでは?
    反日極左在日朝鮮支那などは、利権や金自分の有利になる事には、しつこいし騒ぐ恫喝するなど本当に始末に負えません、これは政府や警察最近では法曹界も汚染してやったから自分達は絶対有利だと考えているのです。 こいつらを破壊しなければ私達自身が何時どんな被害に遭うか判りません、他人事ではないと思います。  今の北朝鮮ミサイル威嚇に支那韓工作員テロ自然災害他国内にこれだけ反日反社会勢力が野放しだと恐怖です。
    大したことは、出来ないけれどやれることを、ずっと続けます。